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2021.06.23

コロナ禍の人口移動で、都市のバーチャル化が進む?

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情報化社会の進展を促したコロナ禍

 テレワークやオンライン・コミュニケーションはコロナ禍以前から始まっていましたが、コロナ禍を機に一気に普及しました。つまり、情報化社会の進展をコロナ禍が後押しし、加速させたのです。

 そもそも、戦後の高度経済成長を支えたのは工業によるモノづくりでしたが、バブル崩壊の頃から、その社会構造に変化が起き始めます。

 例えば、コンピュータはそれまで一部の人の道具でしたが、1990年代の中頃に誰もが容易に扱えるOSが発売され、パソコンとインターネットが広く普及します。そして2010年代になり、モバイル化と高速化が一気に進みました。

 パソコンは様々なデータ処理の道具として活用されるとともに、インターネットの端末として機能し始めます。すると、誰でも情報の送受信ができる環境が構築されていきます。社会に、いわゆるモノから情報への変化が起きたのです。

 情報化社会は、コロナ対策としてテレワークのスムーズな導入を可能にしましたが、一方で、人々の働き方、暮らし方がどこまで変わっていくのか、私たちも見通せていない部分があります。

 例えば、テレワークやオンライン・コミュニケーションでも仕事ができるようになったことは、働く側に働き方の選択肢を広げることになりました。働く時間と場所を自らの裁量で選択することもできるため、歓迎している人も多いと思います。

 一方で、雇い主側にとっては、業務のロボット化やオフショア化が十分可能であることが明確になりました。つまり、マニュアル化が可能なコミュニケーションによる業務に、限られた人材を配置する必要はないということです。

 逆に言うと、オンラインやマニュアル化で代替できないコミュニケーションが必要な仕事の重要性が、再認識されたのです。

 こうした点を踏まえると、新たな人口移動が現れる可能性が考えられます。

 例えば、意思決定や創造性を担うグローバルエリートや、シンボリック・アナリストと言われる知的労働者の仕事は、インプロビゼーションなどと言われる即興的思い付きや、言語化しきれない暗黙知の伝達が不可欠です。そしてそれは、多様な発想をもつ人たちが対面して行うフリートークの場の雰囲気や五感を総動員する身体のコミュニケーションなどに触発されることも多いのです。

 従って、オンラインによる代替は難しく、そこにいる人といない人、集まることのできる人とできない人の選別が進む恐れがあります。そこで、彼らは、接触の機会を求めて仕事の拠点となる都市に住むことを志向すると考えられます。

 一方、いま、ホワイトカラーなどと呼ばれている仕事のうち、職務の分担が明瞭で、上意下達の階層的システムの中に位置づけられる仕事は、テレワークと親和性が高いと思われます。そして、フルタイムのテレワークとなれば完全に立地自由で、通勤のために都市やその近郊に住む必要はなくなります。

 週に何回かは出社が必要な場合は、二地域居住も選択肢になるでしょう。場合によっては、国境を越えて仕事に参加することができますし、それが外国人であれば、在留資格を問われることもありません。また、転々と居場所を変える、遊牧民的なノマドワークも可能になるでしょう。いずれにしても、比較的自由な働き方、暮らし方が可能になるように見えます。

 ただし、それは、その業務のコミュニケーションが形式的で、オンラインで代替が可能だからです。すると、情報化社会の進展とともに、そのような仕事が会社の中や国内に、いつまでもあるか、疑問なところもあります。ちょうど製造業の現場で、工場のFA化や海外移転が相次いだことを考えると良いと思います。

 また、サポート人材などと言われる労働集約的で補助的な仕事は、非正規労働者や、おそらく今後増えるであろう外国人労働者が多く就き、低賃金の就業を余儀なくされます。

 彼らの仕事の多くは都市に集中しており、肉体労働をともなうためにオンライン化は難しく、彼らは職場に近い都市に住まざるをえなくなります。

 すると、都市で暮らす人とは、都心の租界のような場所に住むエリートたちと、住居費の安い周縁的な地区に暮らす人たちに二分されていくことが考えられます。

 また、労働者の住むまちが、再開発によって、エリートが好むような小綺麗で安心・安全なまちに生まれ変わることをジェントリフィケーションと言いますが、それは労働者が長年暮らしてきた居場所を失うことにも繋がります。

 すでに現在でも、アメリカなどでは、人口の数パーセントの富裕層に富が集中する構造が生まれ、社会的な格差の拡大とともに、空間的な住み分けも顕著になっていますが、日本でも、そうした傾向が強くなるのではないかと危惧しています。

 その格差是正をどうするかは、今後も大きな社会問題になっていくでしょう。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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