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2025.10.09

映画におけるセクシュアル・マイノリティの表象:誰のために映画を作るのか

映画におけるセクシュアル・マイノリティの表象:誰のために映画を作るのか
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「多様性の時代」と言われる昨今、LGBTQのキャラクターが登場する映画やドラマが増えています。しかしそこでの描かれ方は、果たして「多様」と言えるでしょうか? セクシュアル・マイノリティを題材にした作品や、戦後日本の「おかまキャラ」の分析を通じて、現代社会の「普通」のあり方を問い直します。

〈かわいそうなマイノリティ〉は誰のための表象?

加藤 健太 日本では、映画をはじめとする芸術作品に政治的な意図を読み込むことをためらう風潮があるように感じます。しかし、観客が望むかどうかに関わらず、表象には必然的に政治的問題が内在し、それは作品を語る上で避けては通れません。

 たとえば近年では、是枝裕和監督の『怪物』(2023年)におけるセクシュアル・マイノリティの描き方が様々な議論を呼びました。このような作品を、単に「感動した」「かわいそう」といった一過性の感情で消費するのでも、「偏見だ」と一括りにして頭ごなしに否定するのでもなく、問題の所在を確認しどのような表象が可能なのか建設的な議論が必要だと思います。

 LGBTQなどセクシュアル・マイノリティへの社会的関心が高まるとともに、物語の中心に当事者を据えた映画が増えてきています。しかし、単に作中に登場させればいいわけではありません。作品の解釈の幅や、芸術作品が持つ豊穣さを考えようとするとき、「何をどのように描いているか」が問われるべきです。

 一例として、内田英治監督の『ミッドナイトスワン』(2020年)では、新宿のニューハーフクラブで働くトランス女性が主人公として描かれました。興行的にも成功し、世間的な評価も高かったのですが、その描き方については批判も散見されました。具体的には、草彅剛さんという、おそらくシスジェンダーの男性がトランス女性の役を演じていた点や、あまりにも悲劇的な物語の展開を問題視する声があがりました。

 なお、ハリウッドでは近年、トランスジェンダーの役は実際のトランスジェンダー俳優が演じるべきだという議論が広がっています。たとえば『リリーのすべて』(2015年)では、エディ・レッドメインというシス男性俳優がトランス女性を演じたことが批判の対象となりました。

 配役だけが問題ではありません。『ミッドナイトスワン』では、主人公が極めて悲劇的な展開を迎えることに対して「〈かわいそうなトランスジェンダー〉というイメージを、マジョリティが都合よく消費している」との意見がありました。もちろん、すべての作品がハッピーエンドである必要はありませんが、セクシュアル・マイノリティを描いた映画では、あまりにも多くの作品が悲しい結末で終わってきた歴史は認識する必要があります。

 もちろん、『ミッドナイトスワン』や『怪物』を観て「美しい」と感じたり、「感動した」と思うこと自体は鑑賞者の自由です。問題は、その作品が映画産業という構造のなかで「誰に向けて作られているのか」という点だと思います。

 事実として、観客の多くはマジョリティである非LGBTQです。マイノリティのキャラクターが〈かわいそうな存在〉として描かれ、悲劇的に終わる作品が続くと、その描写はステレオタイプとして固定化され、「表現の多様性」を損なうことになりかねません。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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