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2025.10.09

映画におけるセクシュアル・マイノリティの表象:誰のために映画を作るのか

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戦後の日本映画で描かれてきた「おかまキャラ」

 ここで私が重要だと思うのは、映画において「表現の多様性」がしっかりと担保されているかどうかです。私自身、セクシュアル・マイノリティを描いた映画が必ずしも「悲劇」である必要はないと思いますが、逆に「必ずハッピーエンドにすべき」とも考えていません。そもそも何を描けるのか、どこまで表現が可能なのかという問いは、多様な表現が認められる社会的土壌がなければ成立しません。

 無論、こうした問題はAかBかの単純な二択ではありません。重要なのは、描き方のパターンが凝り固まらないことです。「トランスジェンダーの役を常に非トランスの俳優が演じ、しかもその物語が常に悲劇で終わる」といった描写が固定化されることが問題であり、こうした状況においては、表象の可能性を規定している社会的構造について考察するべきです。

 こうした課題を考えるうえで参考になるのが、1990年代初頭にアメリカで生まれた「ニュー・クィア・シネマ」の潮流です。トッド・ヘインズやガス・ヴァン・サントといった監督たちは、『ポイズン』(1991年)や『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年)といった作品で、従来のハリウッドの異性愛中心的な物語構造を批判的に再構成し、マイノリティの経験を真正面から描きました。彼らの作品は、単なる「感動の物語」ではなく、社会構造への異議申し立てを含んでいた点において、きわめて政治的でした。

 一方、日本の映画史を振り返ると、戦後から長らく、クィアな男性やトランス女性は、いわゆる「おかまキャラ」として描かれてきました。たとえば、戦後初期の映画ではしばしば、女言葉や女性的な仕草をともなう「男娼」が脇役として登場します。その表象は週刊誌などの他メディアでの取り上げられ方を反映していたものと思われます。

 もちろん、戦後初期の映画では女性のセックスワーカーも多く描かれてきましたが、「パンパン」などと呼ばれた彼女たちは主役級の扱いで、同情的に描かれる傾向があったのに対し、男性のセックスワーカーはもっぱら「お笑い的」な存在として描かれてきました。

 こうした描かれ方には、ゲイ男性に対する揶揄や、トランス女性に対する偏見が色濃く含まれている一方で、その表象の多様さから「おかまキャラ」が一定の「人気」を博していたことがうかがえます。これは戦後日本におけるセクシュアル・マイノリティの経験が「笑い」としてマジョリティに消費された結果と言えるでしょう。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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