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2025.10.02

障害者の人権を侵害した「優生保護法」が近年まで存在したのはなぜか

障害者の人権を侵害した「優生保護法」が近年まで存在したのはなぜか
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日本には1948年から1996年にかけて、障害者らが子どもをつくれないよう、強制不妊手術を行えることを規定した「優生保護法」が存在していました。廃止後、過去に行われた手術に対し、国家賠償請求訴訟が数多く提起され、2024年7月に最高裁が初めて憲法違反であると判決を下しました。現代では考えられないこのような法律が、なぜ存在していたのでしょうか。

障害者は社会の負担であるとともに、生まれない方が本人も幸せだという戦後の「常識」

水林 翔 第二次世界大戦後に制定された優生保護法は、国会でも全会一致で成立するなど、当時は誰もがその正当性に疑問をもたないような法律でした。障害者は社会の経済的負担となるのはもちろん、障害を負って生きることは苦痛であるから本人としても生まれない方が幸せだ、というのが当時の法案を提出した議員らが述べた大きな理由です。優生保護法の下で、一定の障害を持つような方々が子どもをつくれないようにする強制的な不妊手術が相当な数行われました。

 そんななか、1990年代の終わり頃から被害者の方が手術の不当性を訴える運動をはじめ、2018年から全国で裁判が広がっていきます。憲法学の世界でも近年まで、優生保護法の問題性はそれほど認識されてきませんでしたが、一連の裁判等を受けて研究者も「問題があった」と認識するようになりました。

 こうして憲法違反であるという判決が地裁や高裁で積み上がり、2024年7月、最高裁が複数の上告に対して違憲判決を下しました。立法された当初は正しいと思われてきた法律がおかしいことを、被害に遭った方が声を上げ、ようやく国が認めたわけです。

 おそらく今なら誰が聞いても人権侵害であると捉えるだろう優生保護法が制定されたのは、なぜだったのでしょうか。その背景には、「優生学」という学問がありました。

 優生学は、イギリスのフランシス・ゴルトンという学者によって提唱されたものです。ゴルトンは1883年、『人間の能力とその発達の研究』という論考のなかで、優生学を「人間の遺伝的素質を改善し、優良なものを保存することを目的とする学問」と定義づけました。すなわち優秀な人間を増やし、優秀でない人を減らすことで、人種を改良しようというのが学問の目的であり、そのために障害者の数を減らそうとしたわけです。

 かつての社会は衛生環境等の問題から多産多死が当たり前でした。しかし文明化するにつれ、貧困層も含め子どもが成長できるようになります。これについて、“いい暮らしを考え多くの子どもをつくらない富裕層に対し、貧困層が多くの子をつくることを放っておくと社会全体の質が下がる”と、当時の学者たちは問題視していました。そこで、“劣った者”の出生を抑制することを大きな目的として優生学が登場したのです。

 優生学は欧米や日本にも流れ込み、戦時中の1940年、日本では「悪質なる遺伝性疾患の素質を持つ者」への不妊手術を認め、「健全な素質を持つ者」の人工妊娠中絶を制限する「国民優生法」が制定されます。ただ、まずは人口を増やさなければ戦争に勝てないため、強制的な不妊手術は行われませんでした。この法律は1948年まで存在しますが、敗戦後の人口問題等を受け、新たに制定されたのが優生保護法でした。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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