明治大学の教授陣が社会のあらゆるテーマと向き合う、大学独自の情報発信サイト

「道徳科」導入の現在、その是非を超えて

関根 宏朗 関根 宏朗 明治大学 文学部 准教授

2018年の4月から小学校で「道徳」が教科化され、2019年には中学校でも始まります。背景には、依然としてなくならない、いじめ問題への対応などがありますが、道徳教育に対しては、期待されるところがある一方、懸念されるところも多くあるといいます。

特別の教科「道徳」の導入は、さまざまな価値の相克を考える契機となる

関根 宏朗 2018年の4月より小学校で「道徳」が教科化されましたが、これに先がけてすでに2015年の『学習指導要領』の一部改訂で、文部科学省から道徳科の「目標」が公示されています。そこには、「よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を広い視野から多面的、多角的に考え」るとの文言が謳われています。とくにここで注目されるのが「道徳的諸価値」という表現です。かつて文部科学省は「道徳的価値」という言葉を用いておりましたが、「諸」の一文字が付け加えられたこの新たに示された表現には、見た目の変化以上に大きな意味が込められていると思われます。すなわち、単一の価値を子どもたちに教条主義的に注入するのではなく、むしろ複数の価値にふれるとともに自律的かつ対話的な姿勢を練磨する場として、この「道徳科」を位置づけようという視点がそこにはたしかに伏在しています。背景の一つには、OECDが2003年に提出した新しい時代に求められる能力観の国際指標、いわゆる「キー・コンピテンシー」のうちに、「異質な集団で交流する力」が数えられたことの影響が見受けられます。そしてもう一つ、歴史的な事情もあります。思えば戦後の日本社会には、帝国憲法下の「修身」の教育がまさに画一的な価値を注入し軍国少年・少女たちの育成に加担してしまったという事実への痛切な反省から、そもそも道徳教育一般に力を入れることに対してアレルギー的な忌避感を感じる向きさえありました。今般の教科化に際しても、同様の見地により多くの有識者や現場の教員たちから批判的な意見が投げかけられました。ここでの道徳教育における複数的な力点の強調は、そうしたさまざまな批判に鍛えられながら文科省内外で議論が周到に重ねられた結果であると、ある意味で前向きにとらえることもできるでしょう。

ところで、「正義」と「善」という二つの言葉、その学術的に意味するところの違いについてご存知でしょうか。この前者、「正義(justice)」という概念は、より厳密に言うならば公正ないし公平の意を含み持つものでありまして、その過程はどうであれ求めるところとしてこれは絶対的なものであると見なされます。つまり、いつでもどこでも正義は求められるべきであり、不正は避けられるべきものです。しかしこれに対して「善(good)」にはさまざまなかたちがありえます。企業に勤めて一生懸命仕事をして、家族が安心して楽しく暮らせるように稼ぐのが善い生き方だという人もいれば、組織に拘束されずに自分のやりたい仕事を追求したり、自然とともにスローライフを送るのが我が善き人生だと考える人もいるでしょう。この両者はそれぞれの人生観を相容れることはできないでしょうが、しかし、どちらも認められなければならない生き方です。つまり「善」にはその本性として複数的、相対的な価値がともなわれており、唯一絶対的な「善」など存在しないのです。小学校、中学校の道徳科の授業が、こうしたさまざまな他者の価値観や多様な「善さ」の可能性にふれまた認め合う場として位置づけられるとするならば、グローバル化が進みますますダイバーシティが尊重されている現代社会において、それはとても意味のある構えの育成につながりうるかもしれません。

キャリア・教育の関連記事

「美しい日本語」は外国人宣教師の言葉の中にある

2024.1.11

「美しい日本語」は外国人宣教師の言葉の中にある

  • 明治大学 文学部 教授
  • 郭 南燕
利便性や効率性を追い求めていけば、人は幸せになれる?

2023.7.26

利便性や効率性を追い求めていけば、人は幸せになれる?

  • 明治大学 法学部 准教授
  • 土方 圭
芥川龍之介はセルフプロデュースの達人だった

2023.5.17

芥川龍之介はセルフプロデュースの達人だった

  • 明治大学 国際日本学部 准教授
  • 小谷 瑛輔
感染症を描いた文学作品は、いまの私たちにこそ響いてくる

2023.3.10

感染症を描いた文学作品は、いまの私たちにこそ響いてくる

  • 明治大学 政治経済学部 教授
  • 池田 功
日本独自の文化はどのように形成されたのか

2023.2.8

日本独自の文化はどのように形成されたのか

  • 明治大学 経営学部 准教授
  • 森田 直美

新着記事

2024.03.21

ポストコロナ時代における地方金融機関の「新ビジネス」とは

2024.03.20

就職氷河期で変わった「当たり前の未来」

2024.03.14

「道の駅」には、地域活性化の拠点となるポテンシャルがある

2024.03.13

興味関心を深めて体系化させれば「道の駅」も学問になる

2024.03.07

行政法学で見る「AIの現在地」~規制と利活用の両面から

人気記事ランキング

1

2020.04.01

歴史を紐解くと見えてくる、台湾の親日の複雑な思い

2

2023.12.20

漆の研究でコーヒーを科学する。異色の共同研究から考える、これか…

3

2023.09.12

【徹底討論】大人をしあわせにする、“学び続ける力”と“学び続けられ…

4

2023.12.25

【QuizKnock須貝さんと学ぶ】「愛ある金融」で社会が変わる、もっと…

5

2023.09.27

百聞は“一食”にしかず!藤森慎吾さんが衝撃体験した味覚メディアの…

連載記事