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子どもの権利を見落とす/教師の権利も見落とされる「ブラック」な学校

明治大学 情報コミュニケーション学部 准教授 鈴木 雅博

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近年、「○○ハラスメント」と言われるような「ブラック」な環境が、社会の様々なところで指摘されています。学校という教育の場でも、教師にとっての「ブラック」、子どもにとっての「ブラック」が大きな問題として指摘されています。そこには、単純な見方では解決できない複雑さがあると言います。

子ども/教師にとっての「ブラック」な学校

鈴木 雅博 学校の「ブラック」問題は、親御さんにとっては我が子のことであり、社会にとっては次世代を担う世代を守り育てることに関わることであるため、多くの人たちにとって関心の高い問題ではないかと思います。

 学校の「ブラック」は大きく分けて2つあると思います。

 ひとつは、教師にとっての「ブラック」です。具体的には、一般企業や公務員の「働き方改革」のなかで、教師の労働時間も深刻な問題とされています。

 その背景には、まず、日本特有の制度による事情があります。それは、教育職員の給与特別措置法によって、給料月額に対して4%の教職調整額が支給され、残業時間に応じた手当が支給されないことです。

 結果として、教師がどれだけ残業しても人件費が増えることがないため、教師の労働時間に関する管理が行われにくくなり、そのため、残業に歯止めがかからなくなったと言えるわけです。

 他方で、教師の仕事は増えています。これまでも授業や学級づくり、いじめや不登校への対応、進路指導、さらには部活動指導等を担ってきました。

 加えて、近年では、道徳の教科化やプログラミング教育などが導入され、教師の負担は増える一方です。結果として、「サービス残業」が当たり前になっているのです。

 自分だけやらないわけにはいかないといった意識もありますが、先生方を支えているのは、「子どものため」という使命感や仕事から得られる充実感ではないでしょうか。

 しかし、「子どものため」に教師が身を削って「ブラック」な環境のなかで働き続けているのだとしたら、それを持続していくことは難しいでしょう。

 もうひとつの学校の「ブラック」は、子どもにとっての「ブラック」です。それを象徴するのが、いわゆる「ブラック校則」です。

 例えば、黒髪直毛、白い下着の着用といった指導が学校で行われています。最近では、都立高校の多くが、茶髪の子に染めていない証拠として「地毛証明書」を提出させていたことが話題となりました。

 なぜ、このような指導が行われているのでしょうか。

 説明としては、「私立校などとの競争が激しく、しっかりとした生徒指導をすることで保護者からの支持を得たい」といったことが語られます。しかし、多くの場合、ブラック校則は今に始まったことではなく、かつては「学校の荒れを抑えるため」といった別の理由によって、正当化されていました。

 また、「しっかりとした生徒指導は進路実績に結びつく」と主張する学校もあります。しかし、こうした説明も印象や狭い経験に基づくものであって、頭髪や下着の色を統制することと進路実績の相関関係を示す明確なデータがあるわけではありません。

 では、「正しい身なりを習慣づけなければ社会に出た時に通用しない」という説明はどうでしょうか。これを考えるためには、社会により近い場所である大学に目を向けてみるのがよいでしょう。ご存知のとおり、大学では頭髪や服装の指導などはしていません。学生たちは髪を染めるのも、ラフな服装も自由ですが、就活の時期になると、自分たちでそれなりに整えます。(それを整えさせる社会のあり方については別途考える必要がありますが)

 他にも、「社会に出ると理不尽なことがたくさんあるのだから、学校にいる間にそれを学ぶことも大切だ」とか、「女子生徒が派手な下着を着ていると男子生徒が勉強に集中できなくなる」といった説明を耳にすることもあります。

 しかし、学校が育てるべきは、社会の理不尽に向き合い、それを改めていく者であって、理不尽に従順な者ではないはずです。男子が気にするからといって、女子の服装や下着を規制することは、男性による性犯罪の原因を女性に求める思考回路に通じるものがあります。

 こうした説明の行き着く先として、「何であれルールを守れるようになることが大切だ」といったことが主張されることもあります。

 確かに、ルールを守ることは大切ですが、社会では、そのルールが不適切だと考えられれば、私たちには、それを変えるために声をあげる権利が認められています。

 最近では、女性社員へのヒール強制が#KuTooの呼びかけによって見直されつつあります。

 他方で、高校生も大学入学共通テスト中止を訴えるなど、社会運動の担い手となっていますが、身の回りの学校生活のルールに対して、そうした活動が十分に許されているとは言えません。

 見直す機会を与えずに、「ルールを守れるようになることが大切だ」と説いてみせることは、民主的な社会の担い手を育てる行為とは言えません。

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