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2020.06.24

子どもの権利を見落とす/教師の権利も見落とされる「ブラック」な学校

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権利を見落としていることで生まれる「ブラック」な環境

 教師にとっての「ブラック」も、子どもにとっての「ブラック」も、根っこの部分は同じ問題なのです。つまり、両者の権利の軽視です。

 もちろん、学校にも話し合いのしくみがあります。職員会議は重要なはたらきをもっていますし、子ども同士で話し合う機会もたくさん設けられています。こうした話し合いは自分たちの権利を守るための手立てとなるはずです。

 しかし、職員会議では「子どものため」といった教育の論理が話し合いを規定し、「働く者の権利」が議論の枠組みとなることが難しいのが現状です。

 また、生徒会活動のような場面も、教育の一環に位置づけられることで、子どもの権利保障という性格を弱めてしまっているように思われます。

 そこにおける子どもは、あくまでも教育の対象であり、必ずしも一個の権利主体として尊重されているわけではありません。

 例えば、生徒は頭髪や服装等について自分たちで決めることは許されておらず、議題は、教師が適当と認める範囲内に限られています。ここには、民主的な形式を見ることはできますが、自分たちのことについて自由に意見を述べ、聞き届けられるという民主制の実体を見出すことはできません。

 学校の「ブラック」とは、社会の基本となるはずの人びとの権利や民主制に向き合ってこなかったことがもたらしたものだと言えます。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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