誰かが知恵を込めた工夫が、愛着につながることで、使い継げるようにもなる
誰かがつくったモノを受け継ぎ、共有しながら私たちは生きています。古い建材のリユースやリノベーションは、もちろんCO2を減らす意義もありますが、それ以前に、流れた時間やそこで起きた物語をバトンのように受け継いでいるという感覚を持つことにもつながります。単にモノそのものがいいという視点ではなく、誰かが知恵を込め、一生懸命つくられたからこそ持てる愛着もあるはずです。
「今、自分が持っているのは、誰かがつくってやって来たものであり、将来的に自分のもとを離れても、誰かが使うものなのだ」と気づければ、古いものも愛らしく見えるし、今、使っているものも大事にしたくなる。「環境にいいから」より「なんとなくかわいいから」といった感覚の方が自然ですし、誰かが工夫してつくったモノだと実感できることで、親しみを覚えることもあります。
「所有」というのは、とてもおこがましい概念です。自分がお金を出して買ったものなら、どう扱っても文句は言えないだろう、と捉えることの傲慢さは、地球環境問題の面からもいただけない。モノやコトの連鎖の中に生きている感覚があれば、サステナブルを志向するのもごく自然なことになるはずです。
伝統的にいえば、日本の大工って、設計と施工の両方、つまりデザインをしてモノづくりができる人たちなんですね。古い建物をよく観察すると、現場で考え、工夫を重ねながらつくられていることがよくわかります。これは日本独特の文化です。何度も手を加えた建物には、その時々の知恵や生活の実感が込められています。
私自身、一見ごく普通の、しかし工夫にあふれた無名の建物を観察することで、設計に関するさまざまなことを学びました。工夫というのは、個人の知恵やアイデアといった個性に由来します。そういった工夫が、住まいやまちや環境などに込められていくと、我々が暮らす都市はもっといきいきするのではないでしょうか。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。