Meiji.net

2024.05.02

公共空間の変容を迫られている今は、都市を豊かにしていく大きなチャンス

公共空間の変容を迫られている今は、都市を豊かにしていく大きなチャンス
  • Share

技術発展やコロナ禍を経て、都市の在り方が大きく変化してきました。なかでも公共空間は、さまざまな可能性を持つ場として、今まで以上に注目が集まってきています。いったいどのように変わりつつあり、今後どうなっていくのでしょうか。都市デザインの観点からひもときます。

日本における広場的な空間は、人々のアクティビティによって成り立っている

佐々木 宏幸 建築デザインの建築が建物一つひとつを指すのに対し、都市デザインの都市は建物、及び、建物と建物の間の空間を指しています。そんな建物と建物の間にある都市空間の多くが、不特定多数の人に開かれた公共空間や公共的空間です。西洋は広場の文化、日本は道の文化と言われていますが、20世紀頃まで日本の都市には広場というものがほぼ存在せず、道が主要な公共空間になっていたと言えます。

 西洋の広場が最初から都市構造の中に組み込まれ、デザインされた空間であるのに対し、日本における広場的な空間は、たとえば駅前でデモ活動が行われるなどして、当初予定されていなかったエリアが人々のアクティビティによって広場化されることがよくあります。また日本語には「界隈」という場の捉え方がありますが、こちらも「新宿二丁目界隈」や「渋谷センター街界隈」のように、そこに集まる人々のアクティビティによって定義され、人々の認識の中で一定のイメージを持っていきます。つまり空間にアクティビティがついてくるのではなく、アクティビティが空間の性格を決めているのが、日本の公共空間の特徴なのです。

 そんな公共空間が今、急激に変わろうとしています。とくに注目されているのは、街路の在り方です。これまでは基本的に通行のための場所であり、車がスムーズに通行する車道の幅だとか、人が安全に歩くための区分だとかを念頭に整備されてきました。しかし街路を重要な公共空間だと捉え、そこで起こるアクティビティや滞留、人々の交流に対して役割を果たすべきであるという考え方が生まれてきており、その使われ方が変わってきています。

 たとえば、東京・丸の内仲通りは、もともとオフィス街の単なる道路で、週末には誰も歩かないような場所でした。しかし三菱地所が中心となって街路との関係を考え、周辺ビルの低層部に通りに開かれた飲食店を入れたところ、エリアそのものが銀座の延長として受け取られ、週末にも一般の方々が足を運ぶようになりました。さらにはイベントを行うなど、街路を広場的な公共空間として活用する動きが広がっており、丸の内仲通りに対する認識は一変しています。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

  • Share

あわせて読みたい