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フランス人はなぜデモを続けるのか

明治大学 経営学部 教授 川竹 英克

ロラン・バルトが見た日本のデモ

 フランスの批評家・記号学者であったロラン・バルトの「L’Empire des signes」(旧訳「表徴の帝国」、新訳「記号の国」)という日本について書物のなかで、1960年代の「全学連」のデモについて述べている一章があります。フランス人が見た日本のデモについての貴重な証言ではありますが、政治学者や社会学者あるいは日本研究者が企てる論述とは一線を画しています。

 彼は日本語が理解できたわけでもなく日本研究者でももちろんなかったので、この書物の出版当時、たとえばドナルド・キーンのような生え抜きの日本研究者からは、単なる旅行者のたわごとと言わんばかりの批評を受けることにもなりますが、逆に、彼の知性と感性をもってして、生え抜きの専門家には想像もつかない「日本」を現出させるという驚くべき言説からなる書物でもあります。ロラン・バルトが最初に日本を訪れたのは1966年で、以後3回来日し、1970年にこの書物を発表しています。

 彼の言説を引き合いに出す前にひとつ前置きをしておいたほうがいいと思います。彼の書物のすばらしさは、どの本をとっても、その知性と感性の繊細さと柔軟さの産物以外の何ものでもないと思いますが、その問題意識あるいは理論的背景とでも言うべきものが確かにあり、そのへんを少し知っておく必要があると思います。

 第2次世界大戦後のフランスではとくに、言語学、精神分析学、人類学や文学、社会学などの領域で、現象の背後に想定された「構造」の抽出と分析を企てる構造主義と呼ばれるようになる知的活動が起こります。先ほどロラン・バルトを「批評家・記号学者」として紹介しましたが、彼は一時期、記号学の先駆的な研究をしました。この記号学は、それまでの言語学とは異なり言語自体が持つ構造の研究を提唱したスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールが定義した「記号」という概念に象徴される構造主義に発しています。

 その記号学の中で、日本でもよく知られているのはシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)という概念でしょう。例えば交通信号という記号を前に人は青信号というシニフィアンを見て進み、赤信号というシニフィアンを見て止まります。「青信号」は「進む」というシニフィエとして意味づけられ、「赤信号」は「止まる」というシニフィエとして意味づけられているわけです。この「青信号」と「赤信号」の関係は日常生活ではもはや意識されないほどに「自明」ですが、本来自然に備わった関係ではなく恣意的な関係です。

 一時代前、文化大革命の中国で赤で止まるとは何事だということで信号の「赤」を「進め」に変えようという議論が起こったと聞いたことがありますが、恣意性とはこういうことです。音声や視覚などで認識される(感覚としての)シニフィアンとその(観念・イメージとしての)シニフィエの関係は、本来、言語や歴史、社会などによって偶然決まっていると言うべきなのです。

 だから社会に存在するあらゆるものが社会的記号として立ち現れることにもなります。デザインやファッション、料理や映画、絵画や音楽、演劇やスポーツにしても、人間の社会生活全般に渡って存在する記号は、社会をそして人間を考えるうえで興味深い分析対象となります。ロラン・バルトも実際これらを対象として記号の分析をしました。こうした背景を覚えておくと彼の「日本」についての言説も位置付けがある程度はっきりします。

 たとえばロラン・バルトがこの書物のなかで、日本の読者をあっと言わせた命題でもっとも有名なのは多分「東京の中心は空(くう)である」というものでしょう。その中心とはもちろん「皇居」という記号のことです。日本の中心は天皇の居場所とされてきましたから、新幹線で「上り」と「下り」と言う時もこの中心を前提にした歴史的用法が採用されています。

 西洋では、王たる者は自らが権力者であることを示す記号として、都市の中心に陣取って、下々では享受できない贅沢を誇示することを常としてきました。「充実した記号」である必要があるのです。イギリスの王室博物館にでも行けば、その圧倒的な宝飾類や調度品に目眩さえ感じてしまう展示を通してさすが王様と納得してしまう時、この記号は充実したものになるわけです。

 これに対して、日本の天皇の場合、代々衆目に触れないのが本質であり、それは明治維新以降「現人神」として神話化された存在として、むしろ不可視であり視てはいけない存在として、仮に天皇が行幸する場合でも臣民は「畏れおののいて」土下座あるいは最敬礼の姿勢を保ち、視線は決して天皇に向けてはならないという身振りを捏造することにもなりますし、「三種の神器」と呼ばれる誰も見たことがないことになっている道具を権力の象徴としてきたわけです。

 バルトは、シニフィアンをもたないシニフィエがあるとすればそれは「神」だと言っていますが、そうであれば天皇はシニフィアンを消し去ってこの意味のシニフィエであろうと努めた存在ということになるでしょう。もちろんそこにシニフィアンとしての天皇は存在しても、西欧の人からすれば、充実した記号としての王はそこには見当たりません。

 西欧において古典的な都市の中心は求心性の強い同心円的中心であり、権力や富が誇示される充実した力の場であり、時には裁きがなされる正義の場、そして人が集まり取引をし、主張し議論する真理の場、うんざりするほど充実した記号で満たされた場であるとバルトは述べています。

 たしかに、イタリアやフランスであれば、街で道に迷ったらとりあえず中心に行ってそこから出直すのがいちばん早いと言いますが、これとは逆に、東京の中心は、不可視で空虚であるばかりでなく、その中心に向かって進んでも、いつまでたってもそこに達することはできず、知らない間にその周りを周回することになり、地下鉄さえもその中心を迂回するという空間であり、この中心が日本、そして日本人の中心に位置づいてきたわけです。

 もちろんこの命題が日本人の心性について示唆するところも大きいと思います。バルトが訪日した昭和という時代はすでに半世紀も昔で、今では西洋と日本のこうした対照を語ることには少々誇張があるように見えるかも知れませんが、日本人の振る舞いやメンタリティーについて語る場合、ロラン・バルトの残した言説は今日も無意味ではないと思います。

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