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2023.03.10

感染症を描いた文学作品は、いまの私たちにこそ響いてくる

感染症を描いた文学作品は、いまの私たちにこそ響いてくる
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2020年に始まったコロナ禍は、それまで、社会や私たち自身が見せていた当たり前や普通とは異なる一面が露わになることが多くありました。人の心の奥底にあるそうした一面を、やはり、死亡率の高い感染症が流行した明治から昭和にかけて、文学者たちは作品に描いています。

パンデミック時の人の心の動きを描いた志賀直哉

池田 功 新型コロナは世界的なパンデミックとなりましたが、感染症が日本社会に蔓延したことは、これが初めてではありません。明治以降だけでも、非常に恐れられた感染症がいくつかありました。

 結核は、特効薬であるストレプトマイシンが普及する戦後の1950年代まで、不治の病でした。赤痢も、衛生環境の向上や抗生物質の開発などにより患者数が激減するのは1960年代以降です。1918年(大正7年)から数年間はスペインかぜの大流行がありました。

 治療法などが確立していなかった当時、これらは死亡率の高い感染症として人々に恐れられたのです。

 こうした感染症に罹ったり、身近な人が発症したら、人はどういった対応をとったり、心の動きがあるのか、それは文学作品に数多く描かれています。

 例えば、1919年(大正8年)に発表された志賀直哉の小説に「流行感冒」があります。

 当時はスペインかぜが大流行していて、この小説の主人公の男は人が多く集まる場所には行かないように気をつけるような人です。やはり、現代のコロナ禍とまったく同じ状況です。

 ところが、家の女中さんが町で行われた芝居興行にこっそり出かけたことを知り、それに腹を立て、暇を出そうとしますが、奧さんが取りなします。

 その後、家に出入りの職人から家族全員が感染し、高熱になって苦しみますが、この女中さんだけは無事で、みんなの世話をしてくれたおかげで家族は助かります。そこで、主人公は女中さんに抱いていた不信感を反省するのです。

 この小説は、志賀直哉自身が「事実をありのままに書いた」と言っている私小説です。

 すなわち、ものごとを客観的に観察する目をもっている文学者でも、目に見えないウイルスの下で暮らす恐怖のストレスは強く、疑心暗鬼になり、自分勝手になり、他人を批判したり、尊重したりする姿勢を忘れがちになることを赤裸々に描き、自己批判しているのです。

 翻って、コロナ禍の私たちはどうでしょう。疑心暗鬼になって他者を攻撃していても自覚が希薄だったり、また、そうした行動をしている人を見ても、それは当然のことのように受け止めていないでしょうか。

 実際、自粛警察などということが広がったり、他府県ナンバーの車を攻撃することなども起きました。

 しかし、それは、自分自身やその人の、平常時とは違う一面なのではないでしょうか。文学作品は、そうしたことに思いをめぐらせるきっかけにもなります。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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