
2023.03.23
明治大学の教授陣が社会のあらゆるテーマと向き合う、大学独自の情報発信サイト
1909年(明治42年)に石川啄木が発表した小説「赤痢」には、寒村の人々が宗教にすがる様子が描かれています。
当時、赤痢の治療法は確立されておらず、そもそも、医師自体が近隣にいない寒村では、人々が頼りにしたのは神様だったのです。そこに目をつけて、新興宗教が布教します。
それは、葡萄酒を供えて祈るなど、非常にうさんくさく、人々はもちろん、布教者自身もいかがわしいことを自覚しているように描かれます。それでも、人々は神にすがるしかないのです。
しかし、結局、効果はまったく現れず、最後に布教者は激しく罵倒され、布教は失敗に終わります。
葡萄酒を供えて祈ると疫病が退散するなどということは、なんの根拠もなく、端から見ていると馬鹿馬鹿しく感じられます。
ところが、現代のコロナ禍でも、インターネットで「疫病退散」、「宗教」などと検索すると、宗教団体のホームページがたくさん出てきます。そこでは、どのような疫病退散が行われているのでしょう。それでも、そこに頼ろうとする人は後を絶たないのでしょうか。
つまり、原因も治療法もよくわからない病に対する不安や恐怖に対して、神というものにすがろうとするのは人の心にある普遍性なのだと言えると思います。
民族学者で国立民族学博物館名誉教授だった梅棹忠夫は「文明の生態史観」という著書で、宗教の現象と伝染病の現象との間にはかなりの類似性がある、ということを述べています。
しかし、明治時代の寒村と違い、現代では、病院は各所にありますし、新型コロナの治療法がわからない段階でも、少なくとも、感染のメカニズムや、その予防法などの科学的な情報は繰り返し発信され、触れることができました。
私たちの心の奥底には、わけのわからない病に対して神にすがる思いがあるとしても、現代では、科学的な情報を基に判断することができるのです。
私たちはそうした判断をきちんとしているのか、石川啄木の「赤痢」は、自らを省みることを促してくれると思います。
また、医療の発達とともに不治の病はなくなっていくのですが、それでも、死とは違う不安や抑圧があることを、1987年(昭和62年)に発表された齋藤綾子の「結核病棟物語」は描いています。
この小説の主人公である女子学生は肺結核に罹りますが、この頃は、結核は、もう、不治の病ではありません。数ヵ月の入院、治療により、主人公は回復します。
ところが、この主人公には、療養のために、なにもせずにゴロゴロ寝て暮らすことの快適さを失いたくないという思いや、社会復帰に対する怖さがつのるのです。
人は病に罹りたいとは思わないものですが、その病に死の恐怖はなく、入院生活は思いのほか快適であれば、怠惰な気持ちが芽生えることはあると思います。
一方で、そうした心の動きを知ってか知らずか、病気に罹った人をバッシングする気持ちが、健康で働いている人たちにあります。
特に、現代では、自己責任という言葉で、病気に罹った人を健康管理ができない人と決めつけ、差別意識を膨らませる傾向があります。すると、それは、患者にとっては、自分は社会から受け入れられないのではないか、という抑圧に繋がっていきます。
こうした構造をあぶり出す作品に触れると、そもそも、この社会自身が病んでいるのではないか、あるいは、社会とは、そういう「人」たちによって構成されているものだ、という思いを抱かせてくれます。