
2023.03.23
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結核をテーマにした日本の文学には、いくつかの特徴があります。
一つ目は、死亡率の高かった結核に罹って得することなど、実際にはひとつもないのですが、そこにプラスのイメージを見出していることです。それはロマン化と言われています。
結核患者は部屋で寝ていることが多く、顔色が青白くなり、痩せ細っていくため、美人になるというイメージが文学作品の中でつくられていったのです。そうした女性像によって、死という悲劇を切なく描いていくことで、結核をあたかもロマンティックな病としたのです。
このロマン化の典型は、1898年(明治31年)から翌年にかけて新聞に掲載された、徳冨蘆花の「不如帰(ほととぎす)」です。浪子という女性が若くして結核に罹り、そのために離縁され、死んでいく物語です。
当時、家族のだれかが結核に罹ると、家族全員に感染し、家が絶えてしまうかもしれません。お家が大事であった時代、それが嫁の場合は、離縁して実家に帰すことはひとつの選択でした。
しかし、「不如帰」の夫は浪子を嫌いになったわけではなく、母の指示で離縁せざるをえなかったために、引き裂かれた夫婦の情愛が描かれ、しかも、結核に罹った浪子は美人に描かれたため、その悲劇性が人々の心を打ち、「不如帰」は大ヒットしたのです。
徳冨蘆花自身は結核に罹ってはいません。実は、結核のロマン化は、結核に罹っていない文学者によって作られていることが多いのです。
一方、二葉亭四迷、正岡子規、樋口一葉、国木田独歩、石川啄木、宮沢賢治など、結核で亡くなった文学者は数多くいます。
彼らも結核をテーマとした作品を残していますが、ロマン化と言える作品はありません。むしろ、ロマンティックから程遠い汚物である、痰の事細かな描写などがあります。
当時は、喀血によって痰に血が混じることが結核と診断される要因だったため、実際に結核に罹った文学者たちにとっては、自分の吐いた痰に関心が高く、観察対象だったのかもしれません。
二つ目の特徴となりますが、結核によって夭折した文学者たちは、その短い生涯の間に優れた作品を残しているため、結核に罹ると才能が与えられる天才化現象というイメージがつくられたことです。ここでも、結核は恐ろしい病にもかかわらず、プラスのイメージが形作られているのです。
結核後進国であった日本では、結核による死亡率は、高齢者が高い欧米に比べ、20代が非常に高いという特異なデータを残しています。
つまり、結核に罹った若い文学者たちにも、自分の能力を開花させる時期に死と向き合うという、絶望的な悲劇があったのです。そこで深められた内省が、天才化と言われるほどの作品を残す要因になったのかもしれません。
新型コロナによるパンデミックを経験した私たちは、いま、こうした感染症をテーマにした文学作品にあらためて触れると、異常な状態の中での自分自身の心の動きや、死と向き合うということ、そして、セーフティネットとしての社会のあり方など、様々なことを考えるきっかけになるのではないかと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。