
2023.03.23
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平安時代は、仮名文字によって生み出された日本独自の文学が貴族社会を写すとともに、それが、また、貴族社会に影響を与えるなど、連関しあいながら日本独自の文化を育みました。実は、その連関の発想こそが日本独自のものであり、現代の私たちもあらためて考えてみる価値があると言います。
「源氏物語」や「枕草子」という作品があることを、ほとんどの日本人は知っていると思います。でも、面白くて読み耽ったという人ばかりでなく、学校の古典の授業で一部分を習ったとか、受験に出るから勉強したという人も多いと思います。
つまり、現代の私たちにとって、平安時代の文学や文化は、勉強として学ぶものであり、興味をもってふれたいと思うものではないのかもしれません。
その背景には、現代の日本が実学偏重社会であり、すぐに役立つものや、目に見えてわかりやすいものばかりを重要視する風潮があると考えています。つまり、古典作品に対しては、教養とか、忙しい日々の中にちょっとした安らぎをもたらすもの、という捉え方をしている人が多いのだと思います。
しかし、逆に言うと、日本の伝統的な文化を学ぶことは、本当に現実の役に立たないことなのでしょうか。
あらためて、平安時代の文化を考えてみると、それは、よく言われるように、国風文化が確立していく時期です。
894年に遣唐使が廃止になったことが、日本独自の文化が育まれる大きなきっかけだったと言われてきましたが、近年では、それを疑問視する議論も出ています。
確かに、遣唐使の廃止はひとつのきっかけではあったでしょうが、そもそも、日本人は、外から入ってきた文化や技術などを自分たちがもっているものと上手く融合させ、アレンジし、新しいものを生み出していくことに長けていることが、ひとつの大きな特徴です。
つまり、遣唐使によって大陸から珍しい文化が入り続けても、日本人は独自の文字や文学や文化を花開かせたのではないかと想像されます。
むしろ、平安時代の400年もの間、大きな戦乱などが起こらず、非常に平和な状況が続いたことの影響の方が大きいでしょう。紫式部や清少納言をはじめとした女性たちが文学作品を残せたのも、平和な時代が続いたからと言えます。
また、この時代の貴族たちは、大陸からの文化を融合させるだけでなく、自分たちが生み出し、育んだ文学を、絵画や調度品などの工芸、服飾などにも連関させ、文化融合のような動きを起こしています。これは、日本独自の動きであり発想と言えるものです。
グローバル時代と言われ、他国では替えの効かない日本独自のものが重要と言われるいまだからこそ、こうした日本人の特徴を理解することは大きな価値に繋がると考えます。