2024.03.14
- 2019年3月27日
- キャリア・教育
高校で必修となる「地理」は、もう暗記教科ではない楽しさがある
中澤 高志 明治大学 経営学部 教授2022年度から、高校で地理が必修化されます。なぜ、いま、高校で地理が必修化されるのか。その意味と意義を考えると、現代社会に生きる私たちの、課題が見えてきます。
「地理」によって空間軸を超え、外に開かれた視点をもつ
「地理」というと、多くの人が、物産地誌とか地名を覚える暗記物で、あまり面白くない教科というイメージをもっているのではないかと思います。
確かに、地域の特徴を覚える学習が多く、行ったこともない、行くこともないであろう地域のことを学んで、なんの役に立つのか、という思いでしょう。
しかし、2022年度から高校で必修化される「地理」は、そうした従来の「地理」とは異なるものになります。まず、教科名が「地理総合」となり、これを学ぶ意義は、「グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家、および社会の優位な形成者を育成するため」とされています。
これは、ある意味、すべての教科に当てはまるような、大上段のテーマともいえますが、これを噛み砕いて身近な問題として考えると、少し変わってきます。
例えば、いま、日本に外国人労働者がどんどんやって来ています。私たちの職場や地域でも外国人に出会うことが増えています。
そのとき、彼らは、なぜ日本に来なければいけなかったのか。彼らの習慣は、なぜ日本人と違うのか。そういったことに興味をもったり、関心をもつことはないでしょうか。
実は、そういった興味や関心がグローバル化する社会に生きること、つまり多文化共生に繋がっていくのです。なぜなら、無関心からは多文化共生は生まれません。むしろ、排他的になることに繋がっていくからです。
では、どうすれば、興味や関心が湧くのか。そこに「地理」を学ぶ意義があると思います。「地理」を学ぶことによって、行ったことがないところに対しても、想像力を働かせられるようになるからです。
例えば、これが「歴史」ならもっとわかりやすいでしょう。現代に生きる私たちは、平安時代や江戸時代の事象に直接触れることはできません。でも、「歴史」を学ぶことで、時間軸を超えた想像力を働かせることができるようになります。同じように、空間軸を超えて考えるのが「地理」なのです。
空間軸を超えることによって、私たちは外に開かれた視点をもつことができるようになります。すると、日本に来る外国人に対して関心がもてるようになるだけでなく、自分のいまの生き方に対しても、相対的な視点をもつこともできるようになります。
例えば、いま、東京で、狭い家やマンションで暮らし、見ず知らずのたくさんの人たちの中で、競争を強いられて生きている人は、それが辛いと感じたとしても、生きるとはこういうことだとしか思えないかもしれません。
でも、地方都市や田舎には、違う生き方があります。暮らしは、その場所と密接に結びついていることが、「地理」を学ぶことによってわかります。
すると、いまの自分の生き方がすべてではないことがわかってきます。自分の生き方に対して、外に開かれた視線をもつことで、選択肢と可能性が広がるのです。