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2023.02.08

日本独自の文化はどのように形成されたのか

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文化の重要な要素だった「色」

 平安時代の文化の特徴のひとつに色彩があります。

 例えば、奈良時代から、布地に様々な染色をする草木染めの技術が発達しますが、平安時代には、その色の組み合わせで四季や自然を表現する「かさねの色目」が編み出され、貴族たちは服飾を色で楽しむようになります。

 そもそも、当時の貴族たちの服の素材はほぼ絹のみで、形やサイズも決まっているので、現代のファッションのように、素材やデザインなどを選択する余地はありません。唯一、凝ることができ、楽しめるのが色でした。

 貴族たちは「かさねの色目」だけでなく、好きな色や自分に似合う色を着て楽しんだのです。なので、色の使い方で、その人のセンスの良さも見られていました。

 平安時代は、町に染め物屋があったわけではありません。各貴族の屋敷に染め場があり、そこで、自分たちで生地を染めていました。もちろん、貴族自身が自分で染めたわけではないでしょうが、染色の技術に関する知識は、貴族のだれもがもっていました。

 源氏物語にも、光源氏の周囲の女性たちの中で、だれとだれは染色が上手という話が出てきます。身につける色によってセンスの良さが見られたりするのですから、染色の技術力は、当時の貴族にとっては重要なポイントだったのでしょう。

 また、当時の貴族は、色を見れば、それがどんな草花を使って染めたものなのかもわかったので、貴重な草花によってしか染められない色を着ていると、その人の身分や財力もわかりました。

 こうして育まれた貴族の色彩感覚は、文学の表現にも活かされます。

 源氏物語に登場する女性たちには、それぞれイメージカラーがあります。紫の上は赤や紫系の色しか着ません。明石の君は白系です。色の対比が、それぞれのキャラクターに繋がって表現されていくのです。

 また、例えば、染色の技術を表現に連関させた万葉集の歌があります。「紫は灰さすもの」とか「ツバキの灰をさす」という表現は、紫の染色をするときにツバキの灰を使うことが当時の人々にとっては常識であったからこその表現です。

 あるいは、紅は、移ろいやすい心や、はかなさを表現するものとして詠まれています。アルカリ性の灰をかけると紅色は抜けてしまったり、褪せてしまったりすることを、当時の人たちは共通理解していたからです。

 こうした文学で培われた色のイメージは、今度は実社会の服飾に連関していくことにもなっていきます。

 つまり、実際の色や染色技術が文学のモチーフとなり、文学に描かれることで、そのイメージが今度は実社会で活かされたり、あるいは、それが描かれた文脈が工芸品や絵画などの美術のモチーフになったりという連関も起こってくるのです。

 例えば、調度品に描かれた花を、そのまま美しい花として愛でることもできますが、その花が源氏物語のどの場面に出てくるものなのか知っている人は、その文脈と重ね合わせてその調度品を楽しむこともできるのです。

 こうした連関が重なり合ってくることで、文学や美術、工芸、服飾といった、現代ではそれぞれに独立しているジャンルが混ざり合い、総合芸術のように成り立つことになります。それを楽しむことができる人は、豊かな教養やセンスの持ち主なのです。

 つまり、描かれた花をそのまま花として見るだけでなく、その花が象徴する謎を解くひらめきや発想力が必要であり、それは、目の前の芸術品をより豊かに楽しめることに繋がっていくのです。

 こうした手の込んだ面白さ、巧妙な面白さは平安時代に始まり、江戸時代、近代へと脈々と受け継がれ、日本独自の伝統文化として培われていくことになります。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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