
「クールな目で見る」ことが、人の優位を取り戻す動きに繋がる
前回は、「インダストリー4.0」に疎外される労働者について述べましたが、「インダストリー4.0」に疎外される他の利害関係者も想定されます。それが消費者です。
労働者がインダストリー4.0の製造プロセスから疎外されるのに対して、消費者はその製造された製品群の利用によって疎外の方向に進んでいるという意味で、少し感じにくいように思われますが、その影響範囲は広範です。
実は、「インダストリー4.0」は製造プロセスのイノベーションだと述べましたが、そこが高度化、ブラックボックス化することによって、なにもわからない、なにも知らされない消費者は、まさに疎外されることになるわけです。
例えば、近年、国内の企業でも海外の企業でも、製造に関するデータや検査のデータを改ざんする不正が頻発しています。内部告発や国の検査などでもない限り、私たち消費者がその実態を知ることはできません。
さらに、技術が高度化し、AIが発展するほど、そこにたずさわる技術者でも、自分たちが開発しているものの総体がわからなくなっています。
すると、責任の所在すら、誰もわからないことになりかねません。結局、とばっちりを受けるのはわれわれ消費者です。
では、なにも知らされない私たち消費者は、こうしたシステムにどう対峙するべきなのか。有効なのは、「クールに見る」ということだと思います。
例えば、私たちは企業から提供されるサービスなどによって、利便性や豊かな生活を享受しています。しかし、それによって、企業には大きな利益がもたらされます。
私たちは、企業が個人情報を利用して営利ビジネスを行っていることを冷静に見る意識をもっていないと、まさに、自分の立ち位置を見失い、いつの間にか疎外され、凶暴な産業利害の中に置かれることになってしまいます。
一方で、システムを稼働させているAIや機械はなんの利害もなく、ただ、合理的に稼働しているだけです。
もちろん、その合理的な稼働とは、企業の利益を極大化させるように作られているわけですが、そうした合理性や効率性が、私たちや私たちを取り巻く環境にどのような影響を与えているのか、ということも「クールに見る」必要があります。
例えば、AIや機械を動かしているエネルギーや、機械を構成する部品の製造など、システムの総体を考えると、それは本当に効率的なものなのか。
その弊害が自然界に現れているのであれば、それは私たちに多大な影響を与えていることになります。
実は、機械は有機体と結合することで、完全なものになるという議論があります。それは、やはり、人が変革によって失ったものを取り返し、人の優位を取り戻す考え方なのだとも言えます。
いま、私たちは「第4次産業革命」といわれるような大きな転換点にいることは確かです。それは、私たちに利便性や豊かな生活を提供します。しかし、その一方で陰の面があることを「クールに見る」ことも必要です。
私たち一般の消費者や市民のそうした意識や関心が、この革命をより良いものにしていく起点になるのです。
#1 「インダストリー4.0」とは?
#2 「インダストリー4.0」でなにが変わるの?
#3 「インダストリー4.0」によって疎外される人たちがいる?
#4 「インダストリー4.0」をより良い革命にするには?
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。