
家族単位の子育てには、サポートする社会的制度が必要
この連載の第1回で、児童虐待は様々な複数の要因が絡み合って起きていると述べました。逆にいえば、いま虐待などを起こしていない家庭でも、何かのきっかけで起こり得る可能性があるということです。以前、大阪で、ネグレクトによって2人の子どもが餓死するという悲惨な事件が起きました。虐待したお母さんは夫と離婚してシングルマザーだったのですが、離婚前は夫の実家で暮らし、何の問題もなく子どもを育てていました。しかし、離婚後は子ども2人を抱えて働く中で、気持ちや時間のゆとりがなくなり、とうとう虐待死に至ってしまったのです。この事件は、子どもをもつお母さんやお父さんにとって他人事ではありません。離婚や不慮の死などによって、明日から1人で子どもを育てていかなければいけない可能性は、だれにでもあるのです。
子育ては家庭の責任というのが当たり前のようになっていますが、これは戦後の高度経済成長期から始まった都市部の核家族化によってできあがったモデルです。もともと、子育ては血縁や地縁でサポートしていくことが、日本の当たり前でした。とはいえ、地方でもコミュニティが脆弱化していきている今日では、家族単位の子育てモデルを変えるのは難しいでしょう。であれば、家族単位の子育てを、支援する社会的制度や仕組みを構築することが絶対に必要です。私たちは、そういう観点から政治に対して声を上げていくことが、ますます重要になっていくと思います。
また、私たちの周りから、子どもは社会みんなで育てるものだという意識や雰囲気を醸成していくことも必要です。例えば、子育てで忙しいお母さんに、近所の人が「手伝えることがあったら言ってね」などと声をかけたり、子どもを抱えながらバギーを片手に持って駅の階段を昇り降りしているお母さんに、「手伝いましょうか」と声をかけたりすることでも、お母さんは励まされている、サポートされていると感じて、心がホッとするものです。また、子どもが熱を出したときなど、職場の同僚達が気兼ねなく休めるようにしてくれれば、シングルマザーでも子育ての質を落とさずに済みます。いますぐにでも、私たちができることはいっぱいあるのです。
逆に、人が子どもの悪い行動などを注意すると、怒る親がいます。子どもが注意されたことを、ふがいない親への注意のように感じて反発したり、子どもを親の所有物のように思っていて、勝手に口出ししないでと反発したりするからでしょう。そういう姿勢だと、周囲の人は手を差し伸べづらくなります。すると、子育てをひとりで抱え込むことになり、結局、子育ては苦しいままです。親の側も遠慮なく周囲を頼り、子どもはみんなで育てていくという意識をもつことが必要です。この連載の第2回で述べましたが、近所で行われている子育て教室のようなところに参加し、知識や頼りあえるママ友を広げていくことから始めてみるのが良いのではないでしょうか。
#1 児童虐待は親が悪いから起こる?
#2 何がしつけで、何が虐待?
#3 夫婦間のDVも児童虐待になるの?
#4 虐待の影響は大人になっても続くの?
#5 子育ては家族の責任?
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。