心肺蘇生を望まない高齢者の救急搬送をめぐる問題にも法制化が必要
在宅医療に関わるものとして、心肺蘇生を望まない高齢者の救急搬送の問題も挙げられます。
何かしらの疾患をもつ高齢者の容態が急変した際、救命措置をとってもそう長くはもたないことが、家族はもちろん担当の医師や看護師、ケアマネージャーもわかっていることもあるでしょう。そのうえで、無理な心肺蘇生処置をせず、そのままお見送りしましょうという合意書に署名もしていたとします。しかし、いざ呼吸が止まりそうとなれば、家族が慌てて119番してしまうこともあります。
いくら前もって“その時”の準備をしていたとしても、「今じゃない」と思って電話をしてしまうのが人情です。たとえ亡くなることがわかっていたとしても、救急車を呼ばないまま強くいられるかどうか。私ならいられませんし、自信のある方だってその場になってみなければわからないでしょう。となれば、救急隊は呼ばれたときにどう対応するのかを考えていかなければなりません。
救急隊は、現場に駆けつけて「助けてください」と言われた人を病院に連れて行くのが仕事です。しかし到着時に家族間などで意見が分かれて待たされると、救急車が1台使えないことになる。かといって勝手に連れて行くと、なぜ運んだのかと裁判沙汰にもなりかねない。結論が出るまで待たされると、救急隊員も「今、動ければ誰か他の人を助けに行けるかもしれない」という葛藤が生じるでしょう。こういったケースは、実際に起こっています。
東京消防庁では、委員会が設けられ、かかりつけ医等に連絡するといった対応の指針を決める取り組みが進んでいます。私も委員として参加し、法律上どうなのかと意見を求められました。事態に直面した救急隊員に対しては、家族がお見送りをする心づもりをするための機会と時間をつくってあげたのだから役割を果たせたのではと伝えました。そのように捉えて折り合いをつけなければ、彼らもすり減ってしまう。これからさらに増えていく問題です。「この対応をとれば救急隊員が責任を負わなくていい」となる制度を、全国的に構築しなければなりません。
在宅医療やその先にある問題を、看取る側も看取られる側も、他人事ではなく真剣に考えていく必要があります。破綻を起こす前に、何らかの対策をとらなくてはいけません。まずは問題があるという事実に気づくことが大切です。終末期の在宅医療は、どうしたって最後に悔いが残ることが多いものです。どんなにベストを尽くそうとしても、パーフェクトにできると思わない方がいい。だからこそ、できないなかで、どうすればいいかを誰もが考えるべきではないでしょうか。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。