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「子を持って幸せな親像」を作ってしまう

 公正さやバランスという視点で言えば、もう1つ興味深い研究があります。それは、親であることのコストとメリットの認知にかかわるものです。

 親は子を育てるのに多くの経済的コストを負っています。その分、親がそれに見合うだけのメリット、例えば子どもと過ごすことで得られる幸福感といった感情的なものから老後の世話といった経済的なものまで、を得ていると思われがちなのですが、実際のところそうではありません。

 感情的な面に関して言えば、子を持つ人がそうでない人に比べて、幸福度やwell-beingが低いという結果が繰り返し示されています。老後の世話という部分については、誰かの子どもである現役世代が、子がいない人の分まで支えているという面があります。

 さらに、将来の社会は誰かの子どもが支えていくわけですから、親の子育てから国が利益を得ているということも忘れてはいけません。親が子育てにかけるコストが十分に報われているとは言えず、第三者や国がそこから利益を得ているという状況があるわけです。

 それでは子育て世代に十分な補償をしようということになればよいのですが、みなさんご存じの通りそうはなっていません。むしろ、子育て支援政策が発表されると、親が不当な利益を得ているかのようなあしざまな批判や、自己責任論や受益者負担といった観点からの反論が巻き起こります。

 このようなことが起こってしまう理由の一部は、「親であることの感情的利益の誇張」が生じることにあります。

 客観的なデータが示している現実に反して、「親は子どもの存在からたくさんの幸せをもらっている」と思い込んでしまうわけです。そのように考えることで、親の重い経済的負担が公正だと主観的には思うことができてしまいます。

 感情的利益を誇張している人からすれば、親に対する支援というのは「幸せな人々が国からさらにお金をもらう不公正な事態」ということになってしまうわけです。

 一方で、親の立場から見れば、自分の子育てにかけるコストが報われないと考えるのはしんどいことです。このしんどさ(専門的には認知的不協和と言います)を軽減する方法として、親自身も子どもと過ごすことの感情的利益を誇張してしまうことが研究で示されています。

 子育て支援を批判する人々は不公正さを認めたくないために、子育てをする人は報われないしんどさを慰めるために、「子を持って幸せな親像」を作り出してしまうわけです。

 今年、イスラエルの研究者、オルナ・ドーナトの著書『母親になって後悔している」の日本語版が出版されると、共感の声が寄せられる一方で、「母親が後悔するなんてけしからん」といった否定的な意見も散見されました。

 自分と違う意志をもった人間(子ども)と密接に関わるわけですから、ネガティブな感情を経験することは当たり前です。それにも関わらず、あのような批判が出てくることは、それだけ「子をもって幸せな親像」が必要とされているということなのかもしれません。

 「子を持って幸せな親像」というのは、いわゆる母性愛神話にも通じるものがあります。母性愛神話についても根強い信奉があります。しかし、母性愛神話を信じている人が子育ての際によい行動をしているかというと、そうでもないことが研究で示されています。文字通り、「神話」にすぎないわけです。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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