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2017.06.14

現代の経済学では説明できない!? 縄文時代の持続可能性社会

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集落と集落の相互関係が発達し、人や物の出入りが活発

 縄文時代は後晩期になると文化や社会が停滞すると考えられています。私たちが分析している地域には約4000年前から3000年前に比較的狭い地域の中で2㎞程度の距離を置いて10か所以上の集落が群集しています。それぞれの遺跡は数軒の住居で集落を形成しています。ところが、こちらの集落からは何百点も出てくるのに、隣の遺跡からはほとんど出てこないという特定の物があることがわかってきました。例えば、お祭りに使う土偶です。また、海から何キロも離れている遺跡から海の貝殻が大量に出てくるというケースもあります。これは、ひとつの地域社会の中で集落ごとに役割があり、それぞれが連携して小地域社会が形成されていたのだと考えられます。土偶祭祀を仕切るのはこの集落、遠くの海の資源を持って来て、それを分配する起点となるのはこの集落、というように。つまり、各集落が孤立していたのではなく、集落と集落の相互関係が非常に発達していたのです。人骨を調べると、内陸地域の人も沿岸の地域の人も、森の資源である動物やドングリなどの植物、海の資源である魚や貝をバランス良く食べている人が多いこともわかっています。このように、それぞれの集落の役割を地域で上手く使いこなし、人の交流や物の流通を頻繁に行っていたことが、特定の集落に人口の一局集中による資源の枯渇を防止することにもつながっていたし、それが長期的な社会を構築する基盤になっていたと考えられるのです。小規模集団はネットワークを駆使して必要なモノや知識を手に入れていたのです。またこの時期には気候が寒冷化して社会が崩壊したという説もあります。しかし、かれらはこうした社会の仕組みを駆使して社会的な耐性を高めていたことも明らかにできました。この縄文社会の構造は、現代社会が目指そうとしている持続可能性社会を構築するヒントになると思います。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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