新しい技術を導入するには社会における合意形成が必要
もちろん、日本では、研究目的でも、防犯カメラの映像をデータとして利用することは許可されていませんし、街中で人を無差別に撮影してデータをとることも許されていません。そのため、同意を得た被験者からデータをとることで研究を進めています。
屋外で撮影される人物の映像は、保護されるべき個人情報そのものであり、それを保護することは、日本では当然のことです。
しかし、世界には、日本のように人権を重視する国ばかりではありません。実際、歩容に関する大規模なデータセットをとっている国もあります。
その是非を簡単に論ずることはできませんが、ひとつ言えることは、新しい技術を社会に導入するためには、その技術を実用的な精度にすることはもちろん、それを受け入れる法整備や社会制度を整える合意形成が必要だということです。
例えば、自動運転は、人が運転するよりも交通事故の確率を低減させられることは間違いありません。
一方で、それでも事故が起きた場合、その責任は誰が負うのか。そうした問題には、技術的な専門家と法律の専門家が互いに協力して、新しい社会システムをつくらないといけません。
そのためには、自動運転のユーザーとなる一般市民を含めた合意形成が必要です。
歩容による人物照合にも同じことが言えます。この技術は、実際に起きた密出国事件はもちろん、例えば、テロリストとして知られる人物の入国対策にもなる技術です。
その研究を進めるために大規模なデータ収集を許すのか、また、その技術の精度が実用化に達したときも、それを本当に社会に導入するためには、人々の合意が必要です。
一方で、日本がそうしている間に、街中を歩く人を無差別に撮影して大規模なデータセットをとり、研究を進めて新しい技術を実用化する国もあるのです。
現代のグローバルな社会では、それは、日本が取り残されることにもなりかねません。
また、法制度が整わないことは、新しい技術の実用化が遅れるだけでなく、その技術による悪用を許すことにもなりかねません。
実際、新しい技術に追いつかない法制度の隙を突いて、人が利益を得ることは過去に何度も起きていますし、いま現在でも起きているかもしれません。
例えば、画像の加工技術の向上にともなって、専門家でも加工の痕跡を発見することがだんだん難しくなってきています。
それは素晴らしいことでもある一方、例えば、事件や事故の証拠画像や映像が加工されたものであったとしても、気づけない可能性があります。
そのような悪用を許していると、画像や映像全般の証拠能力が疑われるようになってしまうでしょう。
それを防ぐための新たな技術開発はもちろん、そうした悪用に対応する法制度や社会制度も絶対に必要なのです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。