「負の遺産」と環境負荷
他方で、その開発についての理解の度合いや反応については、東京はロンドンやパリと異なる点も多いです。なかでも強調すべきは、「東京の都市開発には大きな目標が見えず、オリンピックによって何を促進しようとしているのかがわからない」という点でしょう。
そもそも、脱工業化により貧困層が集中した地域の再開発は、それまで放置されてきた地域への投資の側面があり、少なくともロンドンとパリでは、観光や最先端技術の促進などといった開発の目的と今後の都市の方向性が明示されてきました。
ところが東京は、大都市としての将来的なビジョンが見えず、誰にメリットがあるのかも不明瞭なまま、あれもこれもと財政負担がどんどん膨らんでいきました。ひたすら景気刺激策としてのみ行われたと評価せざるをえないでしょう。
事実、東京では競技に必要という建前で様々なスポーツ施設がつくられましたが、これからそれをどうしていくかという明確な計画はほとんどありません。
水泳競技の会場になった「東京アクアティクスセンター」やボート競技等の「水上競技場」など、大会に伴い新設された恒久施設のほとんどは、採算がとれず赤字になっています。
立ち退きなどで地域に最も大きな負荷がかかった国立競技場もイベント後の活用方法をいまだに定められず、維持管理費の赤字分については年間10億円を限度に公費で負担する方針です。
なお、ロンドン大会のメイン競技場となったロンドン・スタジアムのその後は、国際的なスポーツ会場としてだけでなく、プロサッカーチームのホームに活用して継続的な収入源を得ています。
仮に税金を赤字に注ぎ込むとしても、都市計画の大きな目標線上にあるならば納税者も納得できるでしょうが、場当たり的につくって終わりでは「負の遺産」と言われても仕方がありません。
私は最近、パリ大会を控えるフランスの研究者と話す機会が多いのですが、彼・彼女たちからは「日本ではオリンピックは何によって正当化されたのか?」とよく聞かれます。
そして、私が「日本では国民の都市開発への意識は低く、注ぎ込まれる公金への関心も低い」と答えると、非常に驚かれるのです。
たとえば、スケートボードなどの競技が行われた仮設競技会場を再整備して恒久化しようという流れがありますが、「つくるなら最初からしっかりつくらなければ環境負荷がかかる。選手が活躍したからといって作り直せばさらに負荷がかかる。そんな対応はフランスでは考えられない」と呆れられました。
選手たちがたくさんのメダルを獲得したことが東京オリンピックの成果だと考える人もいるかもしれません。しかし、一時的に社会に蓄積する不満を和らげた側面はあっても、それによって都市はより良くなったのでしょうか。
東京オリンピックは世界の都市開発の感覚と極めてズレた形で行われたということを、もう一度思い起こす必要があると思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。