
日本代表選手のメダルラッシュに沸いた東京2020オリンピック・パラリンピック。しかし、五輪が東京という都市に何をもたらしたのか、あまり振り返られることはありません。実は、都市開発の視点で見てみると、1964年東京大会の時とはもちろん、近年の開催都市であるロンドンやパリのケースとも異なる事態が起きていたようです。
五輪招致は何のため?
東京2020オリンピック・パラリンピックは、招致プロセスの始まりから大会の終了まで、数多くのスキャンダルに見舞われました。
招致決定からしばらくは相次ぐ不祥事の割に反対運動は限定的でしたが、パンデミックで約一年間の延期があり、全国と東京での感染者数が急増するにつれて市民からの批判は強まっていきました。
実際、大会直前のマスコミ各社による世論調査では、開催に「反対」(中止または再延期)が「賛成」を大きく上まわっています。
それでも緊急事態宣言下でオリンピックは開催され、東京は大会期間中に過去最多の新規感染者数を記録し、医療現場の逼迫はいっそう深刻化しました。
大会が終わってしまえば、代表選手の活躍ばかりが記憶に残ったかもしれません。しかし、そのことは開催への批判や財政状況、積み残された課題などを肯定するものではまったくありません。
オリンピックは多額の費用が掛かり、また都市環境への負荷も高いイベントです。都市の構造と人々の生活に大きな影響を与えます。
1964年の東京大会の招致に伴っては、首都高速道路の建設など、大きな都市開発事業が行われたことは周知の通りです。その多くは、高度経済成長を支えたインフラの整備として容認されました。では、2020大会では何が行われたのでしょうか。
東京には既存の多くのスポーツ施設がありましたが、大会でそれらが利用されただけでないことは誰もが知っています。国立競技場が建て替えられ、湾岸地域にも複数の新しいスポーツ施設がつくられました。選手村は民間分譲マンションとなっています。
それらは、いったい何のためだったのでしょう。多額の公金が費やされたにもかかわらず、おそらく、答えられる人は多くはないはずです。
私は、地理学者を中心とするオリンピック都市開発・地域開発の実態を明らかにする研究グループの代表者として、2016年度から2022年度まで、それを明らかにするための研究を続けてきました。
結論として言えるのは、2020年東京オリンピックに伴う開発には、一貫した目的や目指すところがなく、ただただ経済刺激策、あるいは社会に蓄積する不満を和らげるためのイベントであったということです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。