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2023.03.01

あらためて考える、プリンセス・ダイアナという希有な存在

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自らの判断と選択によって行動したダイアナ

 では、ダイアナはあたかもアイドルのような、可愛いお人形のような存在だったのかと言えば、むしろ、正反対のような行動も起こします。

 例えば、王室の伝統的なタブーを破ったり、ライフヒストリーを出して、自分の心情を吐露したりもするのです。実際、「私はルールブックに従いません。私は頭ではなく、心に従います」と発言したこともありました。

 では、伝統やルールを無視する我の強い人だったのかと言えば、そうでもありません。彼女は王室の伝統には敬意を払っていましたし、慈善活動にも積極的に取り組んでいきます。

 イギリスでは、伝統的に貴族などの上流階級が慈善活動を行ってきました。サッチャー政権の時代、「自由」「選択」という大義名分の下で病気や貧困により生活が困窮する人たちは社会の周縁に追いやられ、見捨てられる風潮が広がります。ダイアナは、そうした人たちに手を差し伸べていくのです。

 実は、イギリスには、王に直接手を触れられた者は病が治るという「ロイヤル・タッチ」の言い伝えがあります。しかし、現代の王室には、手袋を外して素手で患者に触れる人はいませんでした。

 ところがダイアナは、素手でエイズやハンセン病の患者、貧しい高齢者をときには深夜に訪れ、彼らに触れながら励ましや慈しみの言葉をかけていきます。その場にいた人たちは驚き、喜ぶだけでなく、彼女からヒーリングパワーをもった伝説の王たちを思い起こすのです。

 ダイアナの、こうしたエピソードはたくさんあります。つまり、権威的な古いしきたりやルールを破る一方で、イギリスの古き良き伝統を再確認させるような行動をとるのです。

 一見、矛盾して見えるこうした行動は、ダイアナの中では、ルールに縛られたり、だれかの指示に従って行うのではなく、自らの判断と選択によって自由に行うという意味で一貫していて、矛盾などなかったのかもしれません。

 実際、ダイアナの生き方は、ジェンダーに従う保守的な女性たちとも違うし、当時、盛んだったウーマンリブやフェミニズムの活動家たちとも違います。むしろ、自分の直感でつくりあげた生き方といえるでしょう。

 一方で、夫の浮気に耐え、子どもたちを守る健気な妻であり母であり、姑の指示に逆らえず離婚を余儀なくした嫁でもあり、そうかといって、離婚後には自由な恋愛を厭わない。

 亡くなる少し前には、地雷禁止を訴える活動のために、地雷が埋設されたアンゴラの地雷原に立ちます。一歩一歩進む彼女の勇気と揺るがない心の強さは世界中を驚かせました。

 ダイアナの活動がきっかけとなり、これまで地雷禁止の理論や理屈では動じなかったイギリスがついに国際的な対人地雷禁止条約に批准します。また、地雷禁止を訴え続けていた活動家たちは、1997年にノーベル平和賞を受賞するのです。

 サッチャー政権と王室の思惑の下で誕生したとも言えるプリンセス・ダイアナは、しかし、その思惑をはるかに超えて、国民を魅了するプリンセスへと成長しました。

 彼女の愛され力の源泉でもある、その捉えどころのない不思議な魅力は人々の共感を呼び、それゆえに大きな影響力を及ぼしたのです。

 逆に言うと、ダイアナの活動や行動を通して、エイズなどの病に関わる偏見や差別の問題、貧困の問題、ホームレスの問題、自傷行為や摂食障害の問題、戦争の問題などが、鮮明に可視化されていきます。私たちが向き合うそうした様々な問題に、ダイアナはすでに自ら向き合っていたのです。

 ダイアナについての評価はいまでも定まらず、否定的な評価もあります。しかし、彼女をきっかけにこうした問題がクローズアップされたことは、高く評価されてよいでしょう。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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