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2023.03.01

あらためて考える、プリンセス・ダイアナという希有な存在

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ダイアナの生き様を深掘りして見えてくるもの

 ダイアナの死後4週間、イギリスの白人女性の自殺数が上昇したというデータがあります。

 ダイアナを失ったという喪失感が背景にあったことはもちろんのことですが、このデータが示唆するのは、自由な選択をして颯爽と生きる女性像を代表していたダイアナが、交通事故による不慮の死を遂げてしまったことで、「自己責任」という代償の大きさを強烈に痛感させてしまったことも一因として考えられます。

 実は、王室について人々が口にするとき、彼らが語っていることは、王室そのものについてではなく、「自分たち」についてである、というレポートがあります。

 そこには、王室自体が、国民との親近感を高め、国民統合のシンボルであるために、模範的な家庭というブランディングを行ってきたことが背景にあります。彼らの人柄や言動についてコメントする際、語り手は王室というフィルターを通じて実は自分のモラルや価値観を表現しているのです。

 私たちがダイアナについて語るときも、自分の価値観を体現する「ダイアナ」について語っているのです。だからこそ、その喪失感は大きく、また、花の革命のようなことも起こったと言えるかもしれません。

 これほど、パパラッチに追いかけられ、様々に書きたてられながらも、人々を魅了し続け、また、その生き方を通して社会の様々な問題への人々の関心を高めてくれたという人は、希有な存在です。

 それは、ダイアナが王室の一員として無私の行動を使命とする、まさに、ノブレス・オブリージュを身につけていたからという指摘もあります。しかし、それでも、ダイアナに自由な精神を感じるのはなぜなのでしょう。

 表面的な情報にとどまるのではなく、こうした人物の生き様を深掘りしていくことは、私たちの生き方や、物事に対する関わり方、そして社会のあり方を考えるヒントにもなるのではないかと思います。


英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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