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アナーキズムは、すべての人の、ひとりひとりの中にある

田中 ひかる 田中 ひかる 明治大学 法学部 教授

アナーキズムは無政府主義と訳されるため、政府をなくして社会に混乱をもたらすことだけを目指す過激な思想だと思われています。しかし、本来のアナーキズムとは、だれの心の中にもある当たり前の考え方のひとつだと言われています。

アナーキズムは、「支配のない状態」を理想とする考え方

田中 ひかる ここ数年、アナーキズムに関する書籍が次々に刊行されています。アナーキズムを研究する私に、マスコミの取材や、講演の依頼などが増えています。いま、なんとなくアナーキズムが気になるとか、興味を持つ人が増えてきているように感じます。

 では、アナーキズムとはなんなのか。「無政府主義」の「無政府」とは、「アナーキー」の訳語です。アナーキーとは、ギリシア語の「アナルコス」が語源で、「支配がない」ということです。ですから、アナーキズムは「無支配主義」つまり、「支配がないことを理想とする考え方」と訳したほうが、もともとの意味に近いのです。

 支配は、政治的なものだけではありません。日常の中で、私たちはさまざまな人、組織、考え方、あるいは習慣から支配されています。ですから「アナーキズムとは政府や国家をなくす思想だ」というたったひとつだけの定義では、本来のアナーキズムを言い表せないのです。

 たとえば、台湾の「IT大臣」として知られるオードリー・タンは、内閣の一員であるのにもかかわらず、自身をアナーキストと呼んでいます。実際、その発言や実務を見ると、多様性を重視し、人との関係を可能な限りフラットにしようとしていることがわかります。ここからタンが、「支配のない状態」を、「政府」の中枢にいながら、今・ここで創り出そうとしている、ということがわかります。

 いわゆるトップダウンの命令系統やピラミッド型の組織は、政府だけでなく、会社などにもあります。上下関係は、家族内でも、男女間でもあります。

 このような「支配」があった方が、社会が混乱せず、秩序や豊かさがもたらされる、あるいは、人間というものは、束縛されていたほうが、かえって幸福なのではないか、だから、こういった支配は、必要悪なのではないか、という考え方もあります。人には誰しも支配者となりたいという欲望があるから、「支配」が生まれるのは仕方がない、という意見もあるでしょう。

 しかし、そのような支配、あるいは上下関係があることで、抑圧や差別が生まれ、人びとは相互の不信感を強め、その結果、社会が分断され、対立や紛争が生まれ、さらには、国同士の戦争さえ起きます。ここから、「支配」は本当に人間の幸せや豊かさ、そして秩序を生み出すのだろうか、という疑問が生まれます。

 こういった疑問に答える形で、アナーキストは、次のように考えます。人間というものは、支配から解放されればされるほど、むしろ、さまざまな人と協力して、この社会に秩序をもたらすようになる、と。

 このような考え方の根拠は、私たちが日常的に行っている、人と人とのフラットな協力関係にあります。同じ食卓で、醤油を取ってください、と言われればその人に手渡しています。電車では人に席を譲り、職場では同僚と情報や道具を貸し借りしながら仕事を進めます。目の前で電車のホームから人が転落したら助けようとします。

 こういった日常的な行為には、支配も命令もありません。私たちは対等な関係の中で、相手になんの見返りを求めないで、日々協力しています。そして、この協力こそが、私たちの社会の富の源泉であり、人びとを幸福にする基盤となっている、日常のアナーキズムだ、とアナーキストたちは考えます。

 そうだとすれば、アナーキズムは誰の中にもある、ということになります。「アナーキズムは難しそうですね」と言われることがありますが、こういった話をすると、たいていの人は、「なんだ、そんなことなんですか。だったら簡単ですね」と言ってくれます。

 このような、誰にとっても身近で日常的な関係を、社会全体に広げていけば、私たちは、もっと相互不信や争いやストレスがない、自由で平等な状態を創り出すことができるのではないか、という考え方が、アナーキズムの中の重要な要素です。

 もちろん、こういった考え方は、理想論だと批判されることもあります。しかし、それを実践しようという人たちも過去から現在までずっといました。

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