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2021.04.14

先住民族が滅びる民というなら、先に滅びるのはきっと私たち

先住民族が滅びる民というなら、先に滅びるのはきっと私たち
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2020年、北海道白老町に国立アイヌ民族博物館がオープンしました。コロナ禍の状況で、入場制限が設けられていますが、オープン半年で約20万人が訪れています。いま、先住民族の文化や歴史に関心が高まっているのは、そこに多様性や持続可能性を学ぶことができるからかもしれません。

近代文明の無知から生じた先住民族に対する侮蔑

中村 和恵 先住民族とは、現在地球規模であたりまえと考えられるようになりつつある、主に近代ヨーロッパを起源とするライフスタイルや価値観とは、異なる暮らし方を、保っていたり、記憶している方々を指す言葉です。つまりこれは、いわゆる近代文明の側からみた呼称であるわけです。昔からそこで暮らしていた人々からみれば、当然のことながら自分たちが普通の人間であり、余所からきた新参者たちのほうが、変わった人たちでした。

 たとえばオーストラリア北端のアーネムランドには、自分たちをヨルングと呼ぶ人々がいます。これは人間という意味です。そこでは白人はバランダと呼ばれます。南太平洋の北海道や千島列島、サハリン島などには、自分たちをアイヌと呼ぶ人々がいます。これもやはり人間という意味です。そこではいわゆる和人はシサムと呼ばれました(さまざまな方言があるので呼称は地域により少しずつ違います)。

 バランダやシサムといった新参者たちは、進出していった土地を自分たちにとっての新天地と考え、その地域に古くからいる方々の暮らしを軽視することが、しばしばありました。異なる文化の急激な流入は、反撥を呼び、争いも起きました。新参者たちは暴力でそれを押さえつけ、最終的には軍事力を持った近代国家の制度による支配を確立していった。これが植民地政策です。

 こうしたことが自分の身に起きた、と考えてみてください。土地に生きる動植物を食料として採取し適切な人数で何世紀も、ときには何万年も暮らしてきた、そこに新参者がいきなりやってきて、大切な家族や知り合いをいきなり撃ち殺したり、拉致して強制労働させたりする。彼らは杭を打ち、ひろく囲みをつくって、見慣れぬ動物を飼い、見慣れぬ植物を生やす。しょうがないからそれを食べようとすると、勝手に盗ったといって暴力をふるわれたり檻に入れられる。祖先代々の土地にいきなり出現した門や囲いをくぐると、勝手に通行したといって逮捕される。食料や生活資材となる動植物循環システムは破壊され、見たこともなかった貨幣というものがないとなにもできなくなった。地域の経済活動の崩壊です。

 新参者たちはさらに、土地の人には免疫のないウイルスや細菌なども持ち込みました。感染した先住民族の方々がつぎつぎに亡くなった。逃げ場のない島嶼地域では、民族虐殺といってもいい状態が起きた。カリブ海の島々からはカリブと呼ばれた方々の村が、わずか1,2の島をのぞき、ほぼ消えてしまった。オーストラリア南端のタスマニア島でも、同様のことが起こりました。

 経済崩壊、食料危機、水質汚染、感染症の蔓延、そうしたわけのわからない状況による、深刻な精神的ダメージ。いまコロナウイルス感染拡大の世界を生きる私たちには、想像しやすいのではないでしょうか。多くの先住民族の方々が、数百年前から、こうした状況を経験してこられたわけです。

 さすがに民族絶滅はまずい、という議論が一九世紀のイギリスで知識人たちの間に起こりました。消えゆく民を憐れみ、古い文化を記録し、できるだけ穏やかに白人化してよい暮らしができるよう教育していこう、と考えた人たちもいました。これは善意から出た考えであったのですが、残念ながら人種偏見が出発点にあります。近代文明を絶対と考え、物質的豊かさと進歩確信を人類の目標と信じた人たちは、領土の拡大、資源の獲得のために世界各地に出ていって、そこで出会った先住民族の方々を、昔ながらの自然のままに生きている原始的な人たち、劣った民族と勝手に思いこんでいました。

 しかし二〇世紀後半頃から、これは随分勝手な思いこみだったことに多くの人々が気づき始めました。世界各地の先住民族の方々が、自分たちの暮らし方を維持継続したいと声を上げ出しました。第二次大戦後、さまざまな差別や偏見がもたらす暴力の恐ろしさが実感された時期でもありました。また、モノを潤沢にし、人工的に食糧の大量生産を実現し、さまざまな技術を開発し、より快適で便利な生活を目指す経済成長が世界各地で進む一方で、そうした現代文明の暗部が次第に明らかになってきます。化学物質や環境汚染が人体に深刻な影響を与え始めました。

 なにかマズイのではないかという思いが、少なくとも一部の人々の内で募り始めました。私たちが優れた文明だと信じていたものは、先住民族をはじめ、私たち自身の首を絞めるものでもあった、というわけです。

 では、先住民族の人たちは、どうやって、そうした困難の中で生き延びてきたのか、ということに関心が高まってきたわけです。たとえばオーストラリアの先住民族(アボリジニ、という英語の総称はあまり最近歓迎されません)は、あの大陸を4万~5万年前から維持してきた、途方もない管理能力の持ち主です。200年程度の植民地化の歴史がその生活に壊滅的損傷を与えましたが、現在でも150以上の言語を用いる各集団が共通性もありながら特有の文化をさまざまな方法で保持しています(言語数は研究者により数え方が違うので一説です)。変化を受け入れ、矛盾を抱えながら、現代の先住民族たちは生きる知恵を発揮しているわけです。

 一方で、数千年前から滅亡と新興を繰り返してきた都市文明といわれるものは、世界の数カ所において発生したもので、いわば局所的なものでした。それがほぼ地球全体を覆うようになったのは、ごく最近のことなのだということを、私たちは思い出したほうがいいのではないでしょうか。いま日本には、夜中の2時でもアイスクリームが食べたいと思えば煌々と電気のついたコンビニの冷凍庫を開けて買えるのがあたりまえ、という都市文明の感覚が蔓延しています。これは実は、人類史上かつてない、異常事態といっていい豊かさです。

 このようなライフスタイルは人類にとってスタンダードではないし永遠でもないことは、都市文明の歴史が物語っています。この暮らしを支えるエネルギーや物質の流れに破綻が生じる災害や異変に直面したとき、普段忘れてみないでいることを私たちは痛感します。つまりどんな無理を誰に強要してこの豊かさが保たれているのか、それがどんなに危ういものか。だからこそ、いまサステナビリティへの関心が高まっているのでしょう。

 オーストラリアの先住民族は5万年前から、サステナビリティを実現してきたわけです。日本もふくめ、世界各地にそうした維持可能なライフスタイルの先例がある。参考にしたほうが、得策ですよね。「自然」「野蛮」「文明」「進歩」といった概念についての思いこみを、私たちは一度捨てて、人類にとって幸福な生活形態とはなにか、石器時代ではなくいまこの現代を一緒に生きるサステナビリティの先輩たちとともに、考える時期にあるのではと思います。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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