2024.03.21
- 2021年4月14日
- 国際
先住民族が滅びる民というなら、先に滅びるのはきっと私たち
中村 和恵 明治大学 法学部 教授周辺とのオープンな関係の中で培われる文化
では、自然とともに暮らしていた先住民族の伝統的なカルチャーが理想であり、私たちはそれをただ真似るべきなのか、と考える方もおいでかもしれません。そうではないと思います。第一、数万年前からずっと同じ文化であり続けている民族などいないのです。みな過去の遺産を保持しながら、時代に合わせ変化している。日本人もまさに、そうですよね。
先住民族というと、いまでも腰蓑ひとつで槍を持ち、毎日動物を狩っているというイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。そうしたライフスタイルの人たちも一部にはおいでです。ただ狩猟採集民でも、動物はそう簡単に獲れるものではないです。自分でやってみたらわかります。実は芋や虫、貝や小動物など採りやすいものを採る女性の労働が食生活の相当部分を支えている、足の速い動物はたまのご馳走と考えたほうがよさそうです。
しかし、狩りだって数万年前のスタイルのままではないわけです。ヨルングはトヨタの四輪駆動が大好きだし、イヌイットもスノーモービルに乗ってアザラシを狩りにいく。現代の先住民族はみな、なんらかのかたちで近代文明の影響を受け、その中で生活の場を切り開いておられる。都市で暮らす方も多いです。
首都圏のアイヌ民族の方々にインタビューしたドキュメンタリー映画『TOKYO アイヌ』(森谷博監督・2010年)や、史実を素材にしたオーストラリア先住民族の物語『スウィート・カントリー』(Warwick Thornton 監督・2018年)を明治大学で上映し、登場する方のご親族や監督にお話いただいたとき(大学院教養デザイン研究科の映像資料プログラムとして)、学生たちがとても活発に反応し、映像の力だけでなく、やはり実際に人と出会うこと、肉声の力は大きいなと思いました。
現代のアイヌの人たちは、日本の学校教育を受け、卒業したら就職して、といった面ではまさに日本の多くの方々と同様の生活をしておられます。でも、彼らには伝統的なアイヌ文化がさまざまなかたちで受け継がれている、そうした世界から遠ざかったり、無縁であった方が学び直し新しいアイヌ文化をつくることもある。ミュージシャンのOKIさんや、小川基さん(切り絵などの活動もされている)などがそうですね。
アボリジナル・アートのキュレーター、ジョン・マンダィン(Djon Mundine)氏を本学に招き、講演を行ってもらったこともあります。そのとき彼は現代美術としてのアボリジナル・アートの話をされたのですが、学生から、では伝統的なアボリジナル・アートは途絶えてしまったのか、という質問が出ました。
すると彼は、現代的な作品も、伝統的なアボリジナル・カルチャーと無縁ではないこと、自分は白人の祖先の血も受け継いでいるが、先住民族の祖先の血を大切に考えていることを話され、こう言いました。「君は袴も穿いていないし、ちょんまげも結っていないね。でも君は日本人なんだろう」。まさに、日本人こそこうした伝統の変容と現代の連続に気づいてしかるべき民ではないでしょうか。
生きている文化は、常に変化している。人々が出会い、衝突し、考える過程で、異なるものが対立したり折衝したり、混ざりあって、変わっていく。固定して動かないものを正しいありかたと考えてひとつの視点に固執することは、誤った解答を導く可能性があります。
北海道の網走にある北方民族博物館の入り口には、北極を中心として描かれた世界地図のレリーフがあるのですが、その円形の地図は、とても新鮮に見えます。ヨーロッパもロシアもアメリカも北海道も、ちょっとそこまで、と橇に乗って行けそうな気がしてきます。
それは、日頃、私たちが、日本、あるいは欧米を中心とした視点で世界を見ているからだと思うのです。ちょっと視点をずらすと、いままでの世界が新鮮で、まるで違ったものに見えてくる。実際、北極を中心とした地域には横につながる独自の文化圏があります。日本にもその影響を受けた文化として、アイヌ文化のほかにも、オホーツク文化といわば仮に称されている人々の営みがあったことが知られています。アイヌの人たちは、自分たちとはどうやらまったく違うカルチャーであるオホーツク文化圏の海洋民族の人たちと隣り合って暮らし、争いもあったかもしれませんが、たしかに影響を与え合っていたと考えられます。いまに残る遺跡などにその様子をみてとることができます。オホーツク人たちはどうやらシベリアのほうからいらしたらしいです。日本の北は実に多彩でおもしろい。他の地域も、近寄ってみれば当然そうでしょう。
動くものとしての人間について学ぶ、そういう教養のありかたを提案してみると、世界中のあらゆることがつながっていることに気づかされます。おもしろい、もっと知りたい、世界のすべてと自分はなんらかの関係がある。大学で教えているうちに、私自身が気づかされた、学問する理由です。