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2019.09.18

世界遺産に登録された日本の古墳には、世界に誇れる特異性がある

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世界文化遺産登録を機に古墳を楽しむ

小林 清 百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録は、私たち研究者にとってもたいへんうれしい出来事です。しかし、今後の課題もあります。

 ひとつに、両古墳群は、文化財保護法で史跡として保護されるとともに、宮内庁の陵墓治定によって保護されるという二重構造になっていることです。例えば、大山古墳(仁徳天皇陵古墳)は陵墓、その近くの小型古墳は国史跡になっています。

 史跡は公開が原則ですが、陵墓は皇室財産であり、「静穏と尊厳」を保持するために、公開に制限がかけられます。つまり、基本的に非公開で、学術目的の発掘調査ができないのです。世界文化遺産に登録されたのに、今後もそれでよいのか、という問題があります。これは、今年から宮内庁と地元堺市の合同調査が行われはじめたので、今後の動きに注目したいと思います。

 また、陵墓は「○○天皇陵」という名称で呼ばれますが、本当にその天皇の墓なのか、という歴史的真実性の問題があります。陵墓の治定は、「日本書紀」や「延喜式」などの古代文献を参考に江戸時代に考証されたものを継承しています。しかし、今日の考古学研究は大きく進んでおり、文献上の天皇の即位年代と、出土している遺物の年代が大幅にずれている陵墓も少なくありません。

 このため、先ほどからそうしているように、歴史学側では先入観を廃して、地元の呼称で古墳を呼び、これに陵墓名を併記してきました。たとえば、大山古墳(仁徳天皇陵古墳)のように。

 しかし、今回世界文化遺産登録にあたっては、「○○天皇陵古墳」という名称に統一されてしまいました。そのため、被葬者について、ますます誤解を生んでいく可能性があるのです。

 以上の点をユネスコは問題にしていませんが、社会への公開性、学術発掘の必要性、築造年代と被葬者の追求などに関して、私たち研究者は発信し続けていかなければならないと考えています。

 一方で、陵墓治定があったことで、古墳は保護、保存されてきたという評価すべき側面もあります。

 実際、陵墓から外れていた古墳は、昭和30~40年代の民間開発によって削平されることが多々ありました。

 百舌鳥古墳群にある「いたすけ古墳」は、市民と学会が運動を起こし、開発を寸前で止めた初めての例です。これが今日に続く文化財保存活動のモデルとなっています。

 今回ユネスコは、こうした市民運動によって、大都市の中で多数の古墳が奇跡的に守られてきたことを高く評価しています。

 今後は、市民たちがいっそう古墳群との関わりを深くし、文化財保護・活用の主役を担っていくことを期待します。また、内外からの見学者を迎える組織やソフトウェアの充実を図っていくことも急務と考えます。

 まずは皆さんも、この世界文化遺産登録を機に、古墳を楽しんでみてください。単なる大きな墓、というだけではなく、古代日本の人々の智恵に魅了されることと思います。

>>英語版はこちら(English)

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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