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2019.09.18

世界遺産に登録された日本の古墳には、世界に誇れる特異性がある

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百舌鳥・古市古墳群の大きな特徴は、巨大性と集中性

 今回、ユネスコの世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群の大きな特徴は、巨大性と集中性にあります。

 まず、しばしば世界最大のギザのピラミッドや、秦の始皇帝陵とも比較される規模の大山古墳(仁徳天皇陵古墳)があり、2番目の大きさの誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)もこの古墳群に含まれます。

 両古墳群は、それまで大王墓が築かれていた奈良盆地から移動し、大阪平野に営まれました。巨大な墳墓をここに造った最大の理由は、その立地にあります。

 百舌鳥古墳群は、大阪湾のウォーターフロントに位置しています。大陸から、国際港であった難波の港に訪れた外交使節や商人たちは、この巨大な前方後円墳の群れに目を奪われたことでしょう。百舌鳥・古市古墳群が築かれた5世紀は、倭国は中国南朝と外交を展開し、朝鮮半島と密接に交流して多数の技術者や学者を招聘しました。いわば、明治維新に匹敵する国際化の時代だったのです。ですから、前方後円墳の威容は外交アピールの仕掛けでもあったのです。

 実は、今日では樹木に覆われた墳丘ですが、築かれた当時は、全体が石で覆われており、真っ白く照り輝いていました。そこに赤い埴輪が並んでいる景観は、青空や山の緑をバックにして鮮烈なコントラストを描いたはずです。

 また、古市古墳群は、大阪平野から奈良盆地に入る戸場口にあってその巨大性をアピールしています。百舌鳥古墳群を海上に見て驚いた外交使節は、難波港で川船に乗り換え、大和川をさかのぼって都がある大和へとアプローチします。すると奈良盆地への入り口で古市古墳群に出迎えられるのです。

 百舌鳥・古市古墳群には49基もの古墳が集中しています。これも大きな特徴です。今お話ししたような対外的アピールと共に、古墳の造成をきっかけにして人々を集結させ、周辺地域を開拓していく意図があったのではないかと考えられます。

 この頃、大阪平野一帯には、渡来人技術者が多数迎え入れられ、最先端の鉄器製作工場、馬生産の牧場、焼き物工場、塩生産工場などが計画的に配置されていきます。奈良盆地に比べると未開発であった大阪平野は、国内最大の工業地帯として飛躍するのです。

 このように、墳墓を地域開発のシンボルにするのも、日本の古墳時代の特質の一つなのです。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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