
2023.03.23
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また、夏目漱石はその作品の中で、東京の町を非常にこと細かく描いています。何丁目になにがあり、どの坂の途中にはなにがあるのかなどと細かく書き込むことによって、登場人物や作品のリアリティが構築されていくと感じていたようです。
他にも、東京の地図を自ら作成した森鴎外や、東京の町を毎日のように散歩していた永井荷風などの日本の近代の作家たちは、都市という場所と物語の関連性を感じ取る、鋭敏な感性を持っていたのではないかと思います。
場所は人の想像力を触発し、それによって生み出された物語によって、土地が持つ〈地霊〉の力はさらに更新されていく。そのような相互作用というものがあるように思います。
物語の世界観を具体的な場所を通して得られる文学散歩は、文学作品を都市空間の視点から読み直すことで、文学に新たな興味をもたらしてくれる古くて新しい、そして豊かなスキルだと思います。
三島由紀夫の『英霊の聲』をもとに行った文学散歩では、二・二六事件で処刑された兵士たちの慰霊碑(代々木公園脇)を訪れた際に、参加者の女性が不意に泣き出したことがありました。
天皇を信じて日本を変えるために決起したものの、逆賊の汚名を受けて処刑された青年将校たちの無念さを描く『英霊の聲』を読み、さらに実際に慰霊碑の前に立つと、作品と場所との間で生み出される相互作用によって、物語世界への想像力が強く働くのだと思います。
違う時代の文学作品を、なぜ私たちは読む必要があるのでしょうか。例えば、樋口一葉の描く少女や女性たちの境遇は、現代の男女平等や人権意識の下では考えられないような過酷なものです。
しかし、そこには時代が変わっても追体験できる思春期の心の動きや、逆境を生きる女性たちの切なさがあり、それが私たちの心を揺さぶるのかもしれません。
あるいは、一見、なに不自由なく暮らす人が、ある些細な出来事をきっかけに、不安や苦悩を抱いて葛藤していく物語の中に、思いがけず読者自らの姿を見出すこともあります。
文学作品を読み、味わう「楽しさ」は、もちろん人それぞれですが、しかし、その醍醐味を知らずにいるとしたら、それはとてももったいないことだと思います。
文学散歩によって、街や土地、あるいは場所の視点から文学作品を見ることで、活字で読むだけではわかりにくい物語のリアリティや立体感を感じることができたら、文学作品を読む「楽しさ」も、よりいっそう増すのではないでしょうか。
そして、そこからさらに新たな発見や気づきが得られれば、文学作品を読むことの意義が、自分なりに見えてくるのではないかと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。