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「狂言」には、心安らぐ「笑い」がある

伊藤 真紀 伊藤 真紀 明治大学 文学部 教授

「幽玄(ゆうげん)の上類(じょうるい)のをかし」を目指した狂言

 今日では、能だけ、狂言だけの上演もありますが、古くから、一回の催しの中で、能と狂言がともに上演されてきました。それは、室町時代の演能プログラム史料でも確認することができます。

 そもそも、能と狂言のルーツは、大陸から伝わった散楽と言われる芸能で、やがて「猿楽」という「笑い」の芸能として栄えます。

 平安期の史料では、滑稽な技とそれを行う人が「猿楽」と呼ばれていますが、一種の寸劇を演じるコメディアンであったとも考えられます。

 その内容は、古代からある宗教者を風刺する芸や、役人をからかうような滑稽な芸であったようで、しぐさや言葉で笑わせ、腸がちぎれそうなほど、顎がはずれそうなほど、面白いものとされています。

 ついには、猿楽師が舞台に出てきただけで、まだなにも言わないのに人々が笑ってしまう、というような滑稽芸の頂点を極めた人もいたようです。また、彼らは高額所得者であったことがうかがえます。

 こうした「笑い」を狂言が受け継いでいる一方、能は、もっとスケールの大きな、かつシリアスなドラマを表現する舞台芸能となっていきます。

 その原型は、鎌倉時代にはできていたと思われますが、基本的な様相がわかるのは、室町時代の観阿弥、世阿弥の時代からです。世阿弥が遺した「風姿花伝」や「習道書」といった子孫のための伝書には、当時の能と狂言の情報がたくさん詰まっています。

 しかし、能と狂言が一緒に舞台に立つようになった経緯などについては不明な点が多く、はっきりとはわかっていません。

 能を大成した世阿弥は、狂言について、「幽玄(ゆうげん)の上類(じょうるい)のをかし」(世阿弥の「習道書」にある言葉で、質の良い幽玄な趣きの笑いやそれを行う役者)を理想とするとしています。つまり、大勢の人々がどよめくように笑う「笑い」は俗なことと考えていたようです。これは「笑みの内に楽しみを含む」という言葉で説明されています(「習道書」)。

 こうした精神は江戸時代に書かれた狂言の芸談にも著されていて、今日の狂言にも受け継がれています。すなわち、この精神が狂言の「笑い」の大きな特徴のひとつであると言えると思います。

 天文年間(1532~1555年)に著された石山本願寺の「証如上人日記」に狂言の筋立てが書かれている部分があります。それによって、狂言が、戦国時代の頃から、単なる即興的な「笑い」から、演劇としての体裁が整えられてきていることがわかります。

 観阿弥、世阿弥によって能が確立していったのとは時期がズレるようですが、狂言も現代に伝わるような形に整えられてきたわけです。

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