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目的を見失わないことがビジネスコミュニケーション能力を高める

金子 敦子 金子 敦子 明治大学 経営学部 准教授

課題の遂行という目的を見失わないことが重要

 ビジネスコミュニケーションの2つの側面のうち、課題をどのように遂行するか、という面は、企業に勤めている人にとっては当然のことで、見失うことなどないと思われるかもしれません。

 でも、例えば、部下が頻繁に遅刻するのをみて、「何度言ったらわかるのだ」などと怒鳴った経験のある人はいるかもしれません。遅刻は困りますから、伝える必要がありますが、自分の感情を爆発させて怒鳴っても、部下の行動は簡単には変わらないかもしれません。

 遅刻、と言っても、実は、自分が理解しているのと同じように部下が理解しているとは限りません。集合時刻の10分前に集まるのが当たり前だと思う人もいれば、5分の遅れは遅刻ではないと考える人もいます。

 人は、一人ひとり異なる資質を持ち、経験をし、教育を受けてきています。バックグラウンドが異なることによって、目の前の現実に対しても、人によって見え方が違ってきます。つまり、コミュニケーションの前提は違うのです。

 コミュニケーションの前提は、少しずれているのが当たり前、と考えておいてよいように思います。高度経済成長期の時代は、職場にいるのは男性たちばかりで、四六時中、共通の課題を遂行しているうちに、あうんの呼吸などと言われた、前提や意識の共有のようなものができていったのかもしれません。

 でも、現代の職場には、性別や世代といった、わかりやすく目に見える違いに加えて、正規、非正規といった雇用形態の異なるスタッフがいます。共稼ぎも多く、家庭で育児や親の介護などを分担している人も少なくありません。

 さらに、人手不足からスタッフの数も限られているので、若手が上司と一日中べったりくっついて行動することで、学ぶという機会もほとんどなくなりました。

 このような多様性が増大する職場では、あうんの呼吸が培われることは簡単には期待できません。

 「言わないとわからないのか」ではなく、必要なことをわかりやすく言葉にしなくてはいけないのです。「何度言ったらわかるのか」は、自分は伝えたつもりでも、相手には伝わっていないことの証です。

 見え方は違うのですから、小さな摩擦が職場にあるのも当たり前です。人によって違って見える現実の、どれが本当なのかと詮索してもきりがありません。

 むしろ、リアリティが違うことを前提に、目的を確認しながらワークショップのような形で様々なスタッフが意見や情報を交換する方が、課題の遂行には有効です。

 マネジャーは仕事時間の7割をコミュニケーションに費やすとも言われています。

 会議や部下への指示、お客さんとのやりとりなど、仕事時間の7割を占めるコミュニケーションを上手に行うことができれば、自分自身の仕事時間の短縮や充実にも繋がります。

 どのように、どの程度コミュニケーションをするのが適切なのかを判断する、そのベースになるのも、課題の遂行という目的を見失わないことなのです。

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