
人生のターニングポイント電気も水道も頻繁に止まったガーナ留学
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【95】
私のターニングポイントは、ガーナへの留学です。アフリカに行くのは3度目でしたが、1回目と2回目は短期だったので、2005年に奨学金をもらって約1年間をガーナで生活したことは、自分にとって大きな経験になりました。
現地は、文献から想像していたものとはまったく違う光景が広がっていました。文献は主に英語で書かれていますが、ガーナでは当然、公認語である英語以外の第一言語も使われており、たとえば建前は英語で、本音は第一言語であるチュイ語で、といった使い分けがなされていました。
また、20年前は生活インフラも不安定でしたので、都市部でも停電や断水が頻繁に起きていました。大学の寮の蛇口から水が出なくなる虚しさや、外から水を汲んでくる大変さ、電気がつかないので勉強を諦めざるをえないということを日常的に体験しました。
ちなみに、私が滞在している間に首都のアクラで二回ほど国際学会が開催されました。欧米からやってきた有名な研究者はいろいろとためになることを語ってくれるのですが、こっちは日々電気もガスも水道も不便ななかで、図書館の本をみんなで奪い合うようにして勉強していることを思うと「なんだかなあ……」という気持ちにもなったものです。
留学で現場主義の大切さを教わった後は、研究の立ち位置として、アフリカと日本の関係史を重視する方向へシフトしたことも大きな転機になりました。
私はもともと「自分がいる世界とは異なる世界」に関心をもっていました。最初はそれを求めてアフリカの研究を始めたのですが、当然、アフリカの人たちから見ると私は「アフリカ研究者」ではなくて「日本人研究者」なのです。
その中で、自分のアイデンティティを問われながら、研究者として立つべき場所というものを見つめ直すことになりました。
現地で職を得て研究を続けるのでもなければ、アフリカへ行けるのはせいぜい年に数回です。それ以外は主に英語の文献に頼って研究をする。これでアフリカを真髄まで理解できるのだろうか、という悩みはずっとありました。
しかし、見方を変えて、アフリカを「日本との関係」の中で捉え直してみると、日本で生まれ育った私でも当事者感覚を理解できるのではないか、もっと自分に根付いたものを研究できるのではないかと、今現在はそのように感じています。
異なる環境に身を置くことは、自らのバックグラウンドを意識するきっかけとなり、また、自分のこれからの生き方にも良い影響を与えるだろうと思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。