
人生のターニングポイント自分を変えるチャンスを求め、研究員から教員へ
教授陣によるリレーコラム/人生のターニングポイント【35】
私のターニングポイントは二十数年前、石原慎太郎氏が都知事に就任したことで訪れました。当時の私は、「東京都老人総合研究所(現:東京都健康長寿医療センター研究所)」で老化に関する基盤研究をしていました。しかしエイジングの研究は一筋縄ではいきません。動物も老いた状態にしてからでなければならないこともあり、時間とコストが非常にかかります。業績が思ったように出ないなかで辛抱していたところ、石原都知事からあるとき急に「積極的に稼ぎなさい」と言われるようになったのです。
それまで研究所内には、個人で稼ぐなどもってのほかという空気があったのですが、その一言により雰囲気が一変しました。手法の一つは特許です。しかし特許は利用されなければライセンス料も入ってきません。取得や維持にお金もかかり、結局マイナスになってしまうことが多いのです。講演なども有効でしょうが、病気の話ならば需要はあっても、基盤研究の成果は一般市民の興味とは少し違うところにあると感じていました。
先のことを考え、自分に何ができるのかと自問自答していたときに目にしたのが、明治大学商学部の教員公募でした。それまで考えたこともなかった商学部ですが、基礎研究をやっていても稼げと言われる時代になったのだから良いかも知れないと思ったのです。ところで私は、大学時代は教育学部でバレーボール部に所属していました。好きだった生物学を学びつつ、バレーをしながら、卒業後は教員になるつもりでした。しかし、研究室に入ってから実験研究の面白さに目覚めて大学院に進み、博士課程は理学研究科を選んだのです。実は研究所の研究員時代も、1年間だけですが、依頼されて近くの看護専門学校で授業を担当したことがあります。教育を通じて学生たちが成長していく姿にふれ、教える楽しさとやりがいを実感していました。自分は興味の幅も広いし、新しい研究テーマに取り組むことも苦にならないという特徴があることにも気づきました。そこで自分を変えるチャンスを求め、40歳の節目で飛び込んだのが、今につながるきっかけです。
大学では教養科目の「生命科学」、ならびに専門科目としての「バイオテクノロジーとバイオビジネス」を主に教えています。現代はバイオも含めた科学技術が社会の中でどんどん活用されていく時代。商学部で私の講義を受講し、総合的に学んだ卒業生たちが、世界のさまざまなシーンで活躍していることが励みになっています。研究に関しても、社会の変化に合わせてテーマを複数選び、ゼミの学生と楽しく続けています。
おかげさまで私は今年(2023年)、60歳になりました。あれから20年経って食料問題に取り組むとは、当時の私には考えられなかったこと。人生は意外と長いし、いろいろあるから面白いと感じています。その気になれば人はいつでも変われます。つまり何でもできる可能性があるということ。これまで考えたことのない分野であっても、心に響くものがあれば、そのチャンスを活かすことを考えるのもアリでしょう。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。