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2025.06.12

消費による幸せを追求し進化を遂げた、日本の商品流通システム

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理想の商品流通システムは、各国の文化や幸せの捉え方と深く関わっている

 日本の高度な流通システムの恩恵を日頃から受けていると、海外の流通システムはもっと改善できるだろうと思うことがあります。しかし国ごとに事情があるので、私たちの考え方を他国に要求するのは不毛とも言えます。

 私がポーランドに住み始めた2015年、コンビニで売られているサンドイッチが午後には品切れになることに対し、友人たちに向かって「もっと商品流通システムを効率的にした方が良いのではないか、日本のコンビニでは24時間いつでも買える経験をしたでしょう」と指摘しました。すると「俺らは16時にサンドイッチは食べない」と言い返されました。彼らは子どもを迎え行くため、16時には帰宅し、自宅で夕食をとる生活を送っており、それで事足りているのです。

 オーストリアの友人は、「なぜ日本は現地でとれたものを、ほかの土地に運ぶのだ」と不思議がっていました。現地の産物は、現地で消費する。時季のあるものはその時季だけ消費する。これが海外における多くの人々の選択です。ポーランドではキャベツは春しか食べませんし、オランダでは白アスパラガスは春しか出回りません。彼らはそれでいいのです。

 重要なのは、彼らは日本のスーパーのような品ぞろえを求めていないということです。インバウンド客が日本の商品流通システムを激賞しながらも、自国ではそれを採用しない。外国人の多くは、日本人ほど生鮮食品を食さないという事情もありますが、今のままで十分だと捉えているからこその結果でしょう。

 日本の商品流通システムが優れているからといって、世界中に広まるわけではありません。彼らは不便だとは言いつつも、現状のシステムにアジャストするように生活しています。日本に来ると24時間なんでも飲食できることを喜びながらも、それを自国に持ち込んで幸せになれるかには否定的だということです。商品流通システムは消費者に直結するので、それぞれが適合的で特殊です。だから日本の仕組みを海外に持っていっても有効ではありません。

 また、現地でとれたものを現地で消費することは、観光戦略としても意味があります。これは日本国内にも言えることで、どこに行っても同じようなブランドが入り、同じような商品が売られている大型ショッピングモールは便利で効率的ですが、地場の珍しいものが売られている商店街にはそれ特有の魅力があります。

 さらに日本の流通システムは、大規模スーパーに支えられている側面がありますが、大規模スーパーを維持するには多額の売り上げが必要になります。人口が増えているフェーズでは問題なかったものの、今や局面が変わりつつあります。人口は加速度的に減り、多売が機能しなくってきているのです。大規模スーパーの撤退も相次いでおり、流通システムそのものを見直さなくてはいけない局面に来ているのかもしれません。

 消費によって幸せになろうという発想が、現在の日本をつくりあげました。しかし現在では、消費よりも経験を重視する人も増えており、消費をしあわせの源泉と考えること自体、乏しい発想だという見方もあります。理想の商品流通システムは、便利かどうかだけでなく、その文化的背景や何を幸せと受け取るかによっても変わってくるのでしょう。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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