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2022.09.28

ことばによるバイアスに気がつく方法とは

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ことばによるバイアスは裁判の判決にも影響する

 例えば、私の授業で行った実験ですが、自転車に乗った少女が広場の横を走って行く映像を学生に見せます。

 そののち、「少女が左側の工場を過ぎたときに白い車とすれ違った?」という質問をします。学生たちは、少女と白い車について思い出したことを答えます。

 そのあとに、「工場を覚えている人?」と聞くと、2割くらいの学生が「覚えている」と答えます。しかし、映像の中の広場にはなにもなく、工場などないのです。

 つまり、さも、工場がある世界を切り取って伝えられたことにより、そんな世界を見たことがない人の記憶に、工場のある世界の記憶が作られることが起きたのです。

 記憶には、情報取得の段階、情報保持の段階、情報再現の段階があります。

 情報取得の段階は、それが視覚情報であれば映像として取得されますが、それを保持しているときに、言語による情報が伝えられると、それによって元の視覚情報が、いわば、書き換えられることも起こるのです。

 それは、人は映像情報でも、それを保持し認識している段階で、多かれ少なかれ言語化しているからです。その情報を再現する際に言語を使えば、元の情報の書き換えがさらに進むこともあります。

 こうした実験は様々なかたちで行われています。

 例えば、バスケットボールの選手の画像を見せたあと、「いまの選手の背の高さはどれくらい?」と聞くのと、「いまの選手の背の低さはどれくらい?」と聞くのとでは、答えの平均で30cmの差が出ました。つまり、同じ人を、片や190cm、片や160cmと認識したということです。

 人の記憶は、特に、長さや広さ、大きさなどといった尺度について、ことばによって左右されやすい、つまり、バイアスがかかりやすいことがわかっています。

 これが、日常の会話であれば、思い違いとして笑い話になるかもしれませんが、裁判の証言になると、被告人の人生に関わる大問題となります。そのため、裁判官は、記憶を頼りにした証言よりも、物的証拠や客観的事実を重要視すると言います。

 しかし、そんな彼らでも潜在的なバイアスにかかっていたり、逆に、裁判員などにバイアスをかけてしまうこともあります。

 夫から日常的に暴行を受けていた妻が、その日も激しい暴行を受けたあと、フラフラになりながら包丁を手に取り、夫を刺して全治6ヵ月の重傷を負わせたという事件を、一般市民の裁判員を加えて模擬裁判を行った実験があります。

 この夫婦には、高校受験を間近に控えた娘がいることもあり、裁判員6人中5人が執行猶予つきを支持しました。

 ところが、裁判官が、全治6ヵ月の重傷を負わせたという結果の重大性と、刃渡り30cmの刺身包丁を用いていることで強い殺意が認められることを考慮して、これまでの判例であれば、執行猶予なしの実刑になることを参考のための意見として話したところ、裁判員全員が実刑支持に変わったのです。

 ここでは、裁判官のことばによる現実の切り取り方が、裁判官自身にはその意図がまったくなかったにもかかわらず、裁判員たちにバイアスをかけたことがわかります。

 一方、刃渡り30cmの包丁と強い殺意を結びつけるのが当然だった裁判官は、フラフラの妻にとって一番手に取りやすい包丁だったから使ったのではないか、という主婦の裁判員の意見にハッとしたといいます。

 つまり、裁判官には、彼らの中での常識でのバイアスがかかっていた可能性もあるということです。

 裁判官と裁判員の目の前には、同じひとつの出来事が示されたのですが、それぞれの立場や人生経験などによって、その出来事の切り取り方が異なり、その言語化は、他者に対するバイアスを生じさせることにもなることが、この実験によって明らかになりました。

 有効な裁判員制度を進めていく上でも、貴重な実験だったと言えます。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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