Meiji.net

2020.08.05

人口変動と人びとの歴史を結わえること

  • Share

死が日常にある社会

 死亡についても、宗門改帳からは、死が日常にある人たちの生活が見えてきます。

 野母村の宗門改帳には、同じ年の同じ日に15人もの男性が亡くなっている記録があります。おそらく「溺死」と書かれていたこともあり、漁に出て遭難したのではないかと推測されます。

 ところが、亡くなった男性が記載されている世帯はばらけていて、一家の親子や兄弟が同時に亡くなっている世帯はほとんどありませんでした。おそらく、漁で事故に遭ったときのことを考え、家族に及ぼすダメージを分散する知恵があったのだろうと思います。

 また一家の戸主が亡くなった場合は、その兄弟が後に遺った夫人と夫婦になっている記録もあります。そうして、一家を支えたのでしょう。人類学で言われるレビレート(妻が亡夫の兄弟と再婚)やソロレート(夫が亡妻の姉妹と結婚)が、徳川時代の日本でもあったことがわかります。

 徳川時代には、コレラが流行った時期がありますが、その時期には、やはり死亡者が増え、死亡率が高くなっていることがわかります。

 ところが、これは熊本県天草の研究ですが、ある村落では人口が半分以下にまで減ったのに、そこからそう遠く離れていない別の村落では、それほど人口が減っていないのです。

 他の史料とつき合わせると、人口が激減しなかった村落では、患者が出ると、すぐに人里から離れた山小屋に隔離していたことがわかりました。

 現在、新型コロナウイルスが猛威をふるっていますが、歴史上、コレラや大正期のインフルエンザの流行などは、人口や死亡数に甚大な影響を与えてきました。
 
しかしよりミクロな視点からみると、村ごとに対応や被害の状況は異なりますし、村の中でも罹患してなくなった人もいればそうでない人もいます。

 大きな単位で人口変動を分析していく作業も大切です。歴史人口学でも長期的に、あるいは人類史ともいえるスパンで人口変動を捉えている研究もあります。

 ただしその一方で、より小さい単位でみると、そうした災害やパンデミックに対する影響や対応の差異が浮かび上がり、立体的に歴史をとらえることができるのではないでしょうか。その時代を生き延びた人びとの生活や人生をなかったことにしないためにも。

 私は歴史史料からみえる人たちの生活を、私たちよりも死が日常にある人たちとして捉えてきました。しかしその程度は異なれども、私たちにとっても死は日常に沈潜しています。小説家の古井由吉がいうように「恐怖が実相であり、平穏は有難い仮象にすぎない。何も変わりはしない」のかもしれません。

>>英語版はこちら(English)

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

  • Share

あわせて読みたい