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2020.08.05

人口変動と人びとの歴史を結わえること

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宗門改帳からみる結婚や子ども

 私は徳川時代の人口を研究していますが、史料として利用しているのは、現在の長崎県長崎市野母町に残る宗門改帳です。

 徳川時代、キリスト教は禁教だったので、幕府は住民に対して、いわゆる踏み絵などを行い、キリスト教徒ではないことを証明させ、それを村単位でまとめた帳面に記載し管理していました。

 そこには、世帯ごとの戸主、家族成員などが記され、各人がキリスト教徒ではなく、地域の寺の檀家であることを証明するために、檀那寺の印が押されています。つまり、村民に対するキリスト教の禁教と宗旨の確認のために記された帳面が宗門改帳です。

 実は、その宗門改帳には、戸主や家族成員それぞれの生まれた日や死んだ日だけでなく、結婚などの出来事も併記されているのです。そのため、これを確認すると、その地域の人口や人びとのライフコースの把握ができるわけです。

 例えば、野母村の平均初婚年齢を調べると、男性で30歳くらい、女性で25歳くらいであることがわかります。晩婚化が進んでいると言われる現代と、あまり変わらない年齢です。徳川時代の人々は早婚であるといったイメージがあるかもしれません。実際、東北地方では、女性が10代前半くらいで結婚している地域もあります。

 しかし私たちが生きる社会には複数の価値観や行動規範が存在するように、その当時の社会も均質的、画一的ではなく、多様だったことは見逃してはなりません。

 また野母村には結婚の記録がない女性が、何人もの子どもを産んでいる例もあります。全体を調べると、子どもの出生記録に両親が揃っているのは9割ほどですが、1割は母親か父親だけのケースです。

 現代の日本では婚外子の割合は2%程度で、伝統的に婚外子が少ないと言われることがあります。しかし、歴史を見ると、婚外子が少ないことは日本の伝統ではないことがわかります。

 その子どもたちも、宗門改帳からわかる範囲にはなってしまうのですが、死亡率も婚内子と大きな差はなく、また結婚もしているので、村落社会の一員として扱われていたのではないでしょうか。

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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