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2023.04.05

サッカーの熱狂を支えているのは幻想の力!?

サッカーの熱狂を支えているのは幻想の力!?
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2022年のサッカー・ワールドカップでは、日本が強豪国を破る活躍を見せ、日本中が熱狂しました。ところで、なぜ、私たちは、実は、知り合いでもない選手たちの活躍を見て喜び、興奮するのでしょう。その点を考えていくと、スポーツのもつ大きな力が見えてきます。

メディアによって広まった、○○らしいサッカーという言説

松尾 俊輔 スポーツは、日常の生活ではなかなか起こりにくい大きなエモーションを人々に喚起することがあります。特に、世界で最も普及しているスポーツと言われるサッカーは、その最たるものと言えます。

 例えば、ワールドカップで自国のチームが勝つと、国民はお祭り騒ぎとなることがあります。それは、日本でも、ヨーロッパや南米の国でも同じです。

 その祝祭的な熱狂は国民の間に一体感を生み出します。それは、サッカーのようなスポーツがもつ、大きな力のひとつです。

 では、なぜ、そのような力がサッカーから生まれるのでしょう。100年以上前から民衆に広く普及した南米のサッカー史を見ていくと、そこに見えてくるものがあります。

 南米でサッカーが始まるのは19世紀の中頃で、南米各地に進出していたイギリス人などが持ち込みました。

 当初、地元民にとっては見たことのない奇妙な競技だったサッカーは、徐々にその興味や関心を惹くようになり、20世紀初頭になると、地元民によるクラブが次々に創設されます。

 その過程で次第に、「その国らしい」サッカーのスタイルなるものが構築されていきます。例えば、1920年代のアルゼンチンのスポーツ雑誌には、規則正しいパワーがあるが単調なイギリス流サッカーに対して、アルゼンチン流サッカーは、ドリブルを多く用い、個人能力を発揮する軽妙で華のあるサッカーである、という記事が掲載されています。

 当時のジャーナリストたちはミドルクラスの知識人であり、彼らは、新聞や雑誌、ラジオなど、やはり、当時、広く普及し始めたメディアに乗せ、民衆に、イギリスのサッカーと対比させる形で、「アルゼンチンらしいサッカー」のイメージを作り上げていったわけです。

 それは、サッカーというスポーツをイギリス人たちのものから自分たちのものへと大衆化する過程で、そのサッカーを拠り所にして、自分たちのアイデンティティを形成していくことにも繋がっていったのです。

 こうした「○○らしいサッカー」という言説は、アルゼンチンに限らず、ヨーロッパ各国でも見られます。

 例えば、ドイツらしいサッカーと言えば、決して勝負を諦めず、仲間の屍を超えても最後は勝つゲルマン魂を思い浮かべます。スペインらしいサッカーは、ショートパスをテクニカルにつなぐ華麗なスタイルを指す場合が多いでしょう。

 このように、自分たちのサッカー・スタイルという言説はメディアとサッカーファンによって形成され、いまや、各国の民衆は、それを自分たちの誇りとしているわけです。民衆に広く普及し、人気と関心を集めるサッカーには、その力が大きくあると言えます。

 一方で、その言説は、本当に現実と繋がっているものなのか、という疑問が浮かびます。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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