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2023.04.05

サッカーの熱狂を支えているのは幻想の力!?

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サッカーの幻想がナショナリズムを醸成する

 例えば、ショートパスのスタイルがスペインらしいサッカーと言われるようになったのは、シュートパス主体のサッカーをしていたバルセロナの選手が代表に増えたからです。そのスタイルで、スペインは2010年のワールドカップで優勝します。

 ところが、そもそもバルセロナのサッカーは、スペイン国内でも特異なスタイルとして注目されてきたものです。

 ドイツは、2022年のワールドカップで日本にあっさり逆転負けしたことがドイツらしくないと批判の的となりましたが、では、ドイツはワールドカップで常に勝っていたのかと言えば、当然、そんなことはありません。

 さらに言えば、グローバル化が進む今日では、代表チームに、多様なルーツをもつ選手がいることは珍しいことではありません。ドイツにもトルコ系やアフリカ系の選手が加わっています。現代のそのような状況下において、「ゲルマン魂」などという言葉はむしろ空虚にさえ響きかねないでしょう。

 つまり、○○らしいサッカーという言説は、常に現実と繋がっているものではありません。勝ったときのスタイルがマスコミやファンの間に強烈な記憶として残り、それが、メディアによって○○らしいサッカーという幻想を創造してきたのだと言えます。

 サッカーのそうした幻想は国民意識(ナショナリズム)の反映であり、また、その幻想がナショナリズムをさらに醸成していくことにも繋がっていきます。

 例えば、ブラジルでは、ヨーロッパ流の規則正しいサッカーに対して、芸術性や即興性を重んじるサッカーが美徳とされてきました。というのも、20世紀を通じて多くのジャーナリストが、「ブラジルサッカーらしさ」をダンスのような独特の身のこなしやある種の奔放さといった、黒人奴隷とその子孫たちがブラジル社会にもたらした(とされる)特性の中に求めようとしてきたからです。

 その背景には、20世紀半ば以降、人種差別が顕在するアメリカ合衆国に対して、人種間の混淆と融和を称揚する「人種デモクラシー」論が、ブラジルという国を規定するものとして興隆していたことがあります。

 つまり、ブラジルのナショナリズムがサッカー・スタイルの幻想をさらに創造するとともに、幻想がナショナリズムをさらに醸成していくという相互作用があったわけです。

 その意味では、幻想とは、決して意味のないものではなく、幻想があるからこそ、サッカーは民衆の熱狂を生み、それは、娯楽という域を超え、民衆に、「我が国」のあるべき姿をリアルに想像させる力を持つのです。

英語版はこちら

※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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