2024.03.14
遺伝子組み換えが怖いのは、目先の利益で行っていること
島田 友裕 明治大学 農学部 准教授近年、遺伝子組み換えやゲノム編集の技術の話題がメディアで取り上げられることが増えています。そうした技術の是非が問われることもありますが、そもそも、遺伝子や生命そのものの仕組みを全体として理解していない現状では、その技術も付け焼き刃でしかなく、本当に人類に貢献するものにはならないと言います。
いまの遺伝子組み換え技術やゲノム編集の利用方針には大きな問題を含んでいる
今年の3月、厚生労働省の調査部会は、ゲノム編集を使った食品について、遺伝子組み換え技術を使った食品と分け、細胞外で加工した核酸が含まれない場合は安全審査対象外とする報告書を了承しました。
このニュースを聞いて、不安に思った人も多いと思います。しかし、遺伝子組み換えとゲノム編集ではなにが違うのか、理解している人はあまり多くないように思います。それが不安の原因になっているのかもしれません。言葉の意味としては、遺伝子は生物がもつ遺伝情報の一部で、ゲノムとは生物がもつ遺伝情報の全体の事です。技術としては、遺伝子組み換え技術は外来の遺伝子を導入する技術で、ゲノム編集は思い通りに標的の遺伝子を改変する技術となります。
そもそも、遺伝子の組み換え自体は、自然の中でも起こっています。例えば、人は、精子と卵子が組み合わされることで次世代の命が生まれます。そのとき、片方の親の形質だけが伝わることはありません。両親の形質が組み合わさった形で伝わります。つまり、両親の遺伝子の組み換えが行われているのです。
これは自然の摂理として起こることですが、遺伝情報の操作を人工的に行い、望む形質の生物を生み出そうというのが、遺伝子組み換え技術やゲノム編集です。
例えば、作物をもっと甘くしたい、大きくしたい、実の数を増やしたいなどのために、それを可能にする遺伝子を、その作物とは別の生物から探し出し、その作物に導入したり、その作物の遺伝子と組み換えたりする事が、遺伝子組み換え技術です。
すでに実用化されているものとしては、特定の農薬に対して、耐性をもつように遺伝子を組み換えたトウモロコシや大豆などがあります。畑に農薬を大量に散布してもトウモロコシは枯れず、周囲の雑草は枯れるので、手間がかからず生産効率が上がるというわけです。
一方、ゲノム編集は、遺伝子を組み換えるのではなく、遺伝子の一部を人の手で改変することで、望む形質の出現を図る技術です。生物間で遺伝子を操作するのではなく、元来持っているゲノム(遺伝子情報の総体)の一部を操作して編集するイメージです。
アメリカなどは、こうした技術の推進に積極的ですが、EUは、遺伝子組み換えにもゲノム編集にも非常に慎重です。日本は、遺伝子組み換えについては慎重ですが、ゲノム編集については安全審査対象外としたということです。
国のこうした対応に不安をもつ人の中には、人工的に手を加えた遺伝子の作物を食べると、その遺伝子によって、身体になにか良くないことが起こるのではないか、と思っている人もいるかもしれませんが、食べただけで、その作物の「遺伝子」が身体に広がるということは当然ありません。
そうした心配はありませんが、では、遺伝子を操作する技術にはなにも問題がないのかというと、実は、目的のものを作り出したその先に大きな問題があります。
例えば、農薬耐性をもったトウモロコシ畑の雑草が、いつの間にか農薬で枯れなくなってきているというのです。なぜ、そのようなことが起きるのか。そして、それが、なぜ問題なのでしょう。