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2017.04.26

振込め詐欺を素材に、刑法による介入の限界を考える

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刑法には、安易に介入すべきではないという「侵害原理」がある

内田 幸隆 刑法の基本には「侵害原理」というものがあります。刑法は、他者の正当な利益を理由なく侵害する場合に限って介入することができるという原則です。そもそも、刑法がなぜ規定されているかというと、私たち国民が生活を営む上で、必要となる様々な生活利益を保護するためだからです。すると、他者の利益を侵害しない限りは、原則的に犯罪として処罰してはいけないということになります。その一方で、社会的にみて倫理に反する振る舞いさえあれば、刑法は介入してもよいという考えもあり得るでしょう。しかし、社会において善というべきものは何か、道徳に適うものは何かについては様々な議論があります。それにもかかわらず、国がある一定の倫理を定めて、その倫理に反することだけで犯罪の成立を認めると、かえって社会が混乱し、国民生活に対する不当な介入を招きかねません。

 ところが、ある行為がどのような利益を具体的に侵害しているのか明らかではないにもかかわらず、その行為が社会的にみて「悪」であるとして処罰されることがあります。というのも、「悪」を取り締まるという名目のもと、法を拡張的に解釈し、柔軟に活用することは、国民の支持を得やすいからです。例えば、先ほどみたように、偽名を使って銀行口座を開設する場合以外に、第三者にカードや通帳を譲渡する目的で銀行口座を開設する場合や、暴力団員など反社会的な組織に属する人が身元を隠して口座を開設したり、お金を払ってゴルフ場でプレーする場合も詐欺罪で処罰されることがあります。たしかに振込め詐欺を撲滅するために、あるいは反社会的な組織を取り締まるために、詐欺罪を適用することについては、多くの人は反対しないでしょう。しかも、国からみると、刑罰を用いることほど安易でコストの安い社会統制手段は他にはなかなかありません。また、国民の支持を得て自分たちのやっていることが正しいとなれば、取り締まる側はそれをさらに適用していくでしょう。しかし、自分たちの行いが正義に適っていると自省なく思ってしまうと、本当は介入すべきではない場合にも、十分な議論なく介入してしまうことになりかねません。だからこそ一見すると犯罪の成立が認められる場合であっても、その行為によって何が具体的に侵害されるのかということを、私たちは冷静になって考える必要があるのです。

 そもそも刑法という法律は使わない方が最善だという考え方があります。刑法は「最後の手段」でなければならず、他に適当な手段があれば、そちらを使うべきだということです。というのも、刑罰は非常に害悪の大きい性格を持っているからです。したがって、刑法の適用は慎重に考える必要があります。このような考え方によると、刑法の抜け道が生じ、新たな詐欺の手口が生まれるという批判が生じるかもしれません。しかし、そうであるならば、銀行口座の開設について犯罪収益移転防止法による規制が設けられたように、新たな立法を検討するべきでしょう。また、立法化に際しては、刑罰という手段を用いないという選択肢も常に議論するべきだと思われます。

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※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。

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