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「人生にはいくつもの初心がある」 ~世阿弥の言う本当の意味とは~

土屋 恵一郎 土屋 恵一郎 明治大学長 法学部 教授

「初心」とは、壁を乗り越えるための自分なりの工夫と努力

 世阿弥の遺した言葉は、現代に生きる私たちにもたくさんのヒントを与えてくれますが、違った形で理解されてしまったものもあります。「初心忘るべからず」は、今日では、学び初めの志を忘れるな、という意味で理解されていますが、世阿弥は、初心はひとつではなく、人生の中にはいくつもの初心があると言っています。「花鏡」では、若いときの初心、人生のときどきの初心、老後の初心、について語っています。若いときの初心については、次のように言っています。20歳くらいの新人のときは周りからチヤホヤされるが、それは「時分の花」、つまり一時的な花にすぎないと。そこで得意になってしまっては、成長は止まってしまう。24~5歳くらいのときにあらためて自分の未熟さに気づくことが大切であり、先輩の話を聞いたりして、自分を磨き上げていかなければいけないと言っています。さらに中年になってくると、周りから飽きられたり、成長が止まってしまうことで力が落ちてきます。そのときどきの壁をどう乗り越えていくのか、その工夫が、人生のときどきの初心であると言っています。そして、老後の初心とは、自分の肉体や美しさが衰えていく中で、それをどう乗り越えていくかということです。実は、世阿弥は、父である観阿弥が死ぬ直前まで演じていた舞が「巌に花の咲かんが如し」であったと言っています。それは、満開の花が咲き誇っているような派手な様子ではなく、岩に一輪の花が咲いているようであると。しかし、その花の美しさこそ、老いて後の初心の結実であり、理想の芸であると言うのです。年を取るということは、肉体の衰えであり、美しさの衰えであり、間違いなくなにかを失っていくということです。若いときのように動けないし、美しくないし、輝きもない。しかし、失っていくことを知り、それを補う工夫を尽すことによって、その失うプロセスは、完成に向かうプロセスに変化していくということです。オペラにしろバレエにしろ、ヨーロッパの舞台芸術がいわば青春の芸術であるのに対して、能や歌舞伎、あるいは落語も、日本の伝統芸能は年を取ることで完成に近づいていく。つまり、一生をかけて完成するものと考えられています。こうした概念を初めて言葉にしたのが、世阿弥です。その意味で、老いた後にも初心がある、という世阿弥の言葉は、高齢化社会を迎えている現代の私たちに対して、若いときにあった様々なものを失っても、同時にそこで自分なりの工夫をすることで、むしろ人として完成に近づいていくことができる、というエールとして受け取ることができるのです。

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