プログラミングができる子はどんどん伸ばすべき
一方で、小学校でプログラミングの授業を行うことに懸念もあります。ひとつは、プログラミングの授業内容は各小学校に任されているということです。
実は、「プログラミング教育」という言葉があまりにも先行してしまい、まるで「プログラミング」という教科ができるようなイメージをもたれていますが、そうではありません。算数や理科などの授業の中で実践されるようになるということです。文科省の発表でも、論理的思考力を鍛えるということが目的で、プログラミングはその手段とされています。
そのため、小学校によっては、パソコンやタブレットを使い、プログラミングの教育用ソフトを活用するプランもあれば、カードなどのアナログなデバイスを活用して、プログラミングの考え方を教えるプランもあるようです。
しかし、これでは、各小学校の現場の先生方に頼るところが大きく、さらに、同時期に英語教育も必修になることから、小学校の先生方の負担が増えるばかりで、プログラミングによって論理的思考力を鍛える教育を十分に行えるのか心配になります。小学校の先生方には、何らかのケアが絶対に必要だと思います。
また、プログラミングには向き不向きが少なからずあります。例えば、企業などでプログラミングの研修を行うと、すぐにできるようになる方がいる一方で、最後までプログラムが書けない方も必ずいます。これは、体育の授業で足の速い子は最初から速いし、美術の授業でどんなに教えても絵が上達しない子もいるのと似ているかもしれません。プログラミングにも、ある程度の適性が必要とされるように思います。
小学校でどんな授業を行うかわかりませんが、できない子をフォローする心がけは必要でしょう。逆に、できる子や興味をもった子は、どんどん伸ばしてあげることが大切です。ともすれば、日本の教育は子どもの短所を直すことに重点がおかれがちですが、こと、プログラミングに関しては、長所を伸ばすことを考えるべきです。
先に、アメリカの学生が必死に勉強していることを述べましたが、それは、ITの分野が他の分野と比較して知識の陳腐化が早いことが理由のひとつとして挙げられると思います。例えば、プログラミング言語のひとつであるJavaに関する本はゆうに百冊以上ありますが、そのうちの数十冊は読んで理解しないと、Javaひとつでも正しく使うことは難しいと思います。
しかし、ITの世界の変化は早く、ひとつのプログラミング言語の寿命は下手をすれば10年程度ということもありえます。現在でも、Java、C、Python、Rubyなど、いくつもの言語がありますが、新しい言語に取って代わられていく可能性もあります。新しい言語ができるたびに、その言語仕様書を読み込み、言語の特性を正しく理解しなければなりません。
日本でも、プログラミングに適性のある小学生には、ITに関する教育を特進で学ばせる制度を設けても良いと思います。実際、そうした制度を検討している国もすでにあるようです。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。