変動相場制後も影響力を増すドルのマネーフロー
変動相場制に移行したということは、原理的には各国間の通貨競争の土壌ができたということで、金融政策の裁量権はもはやアメリカだけが握っているのではなく、各国にもその自由度があるということです。ところが、基軸通貨ドルはその後も継続していきます。その理由は、研究者の間では「慣性」とか、「ネットワーク外部性」といった用語で説明されますが、要は、基軸通貨を変えるのは面倒、ということです。実際、ブレトンウッズ体制のもとでアメリカはドルの様々な優位性を確立しており、これはもはや如何ともし難かったのです。例えば、石油や穀物などの一次産品の取引は、現在でも、基本的にすべてドル建てです。それは、シカゴが商品市場として確立され、どの国も第三国通貨であるドルを使用するからです。さらに、インターバンク市場における銀行間取引でも、ドルが媒介通貨としてなかば独占的に利用されています。例えば、円をバーツに両替するとき、私たちの目には円が直接バーツに換金されたように見えますが、実は、銀行間取引において、円とバーツの間にドルがブリッジとして挟まれているのです。つまり、ドルは、直接当事国ではない第三国通貨でありながら取引通貨として用いられているわけで、変動相場制に移行しても、この意味でドルが最も重要な通貨であることは変わらなかったのです。
もちろん、ブレトンウッズ体制下のような、あからさまな負債決済の特権は振るえないものの、基軸通貨国としての優位性があるアメリカには国債その他の金融商品への周辺国の投資を通して自身の経常収支の赤字を上回る資本が流入し、逆にアメリカから余剰資金を新興国などに再投資するマネーフローができあがっていくのです。つまり、国債などで低利で借り入れ、各国に高利で貸し付けるという構図です。2000年代になると、アメリカは世界のベンチャーキャピタルを自称するまでになります。しかし、この間、1997年にはアジア通貨危機が起き、アジアの多くの国が危機的状況に陥ります。この危機は、アジア諸国がアメリカからドル建ての短期借り入れを行っていたために起きたといわれています。まさに、ドル中心のマネーフローの構図が招いた経済危機です。そして、2008年には、アメリカの住宅バブルの崩壊によるサブプライムローン問題に端を発し、世界金融危機が起こります。つまり、アジア圏、ユーロ圏を問わず、ドルのマネーフローにがっちりと取り込まれ、その影響は非常に根深いものだったわけです。
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