
テロの脅威は形を変えています。欧米先進国では、国外の組織による大規模な攻撃は減少した一方で、自国で育った個人による犯行が増加しました。情勢の変化に応じて対策も変化が求められています。しかし、そこに唯一絶対の「正解」はありません。国民自身がテロ対策の在り方を主体的に考えることが求められています。
「無差別殺人」や「道理なき犯行」だけではテロとは呼べない
ニュースを見ていると、世界のどこかで「テロ」と呼ばれる事件が起きているのを目にします。しかし、意外に知られていないのは、「テロリズム」という言葉には学術的にも実務的にも合意された唯一の定義が存在しないということです。
とはいえ、学術的な観点からは、テロと呼ぶために満たすべき基本的な要素は最低限三つあると考えられています。第一に「政治的な動機(political motive)」を持っていること。第二に、単に対象を攻撃するのではなく社会全体への「恐怖の拡散(spreading fear)」を狙っていること。そして第三に、その目的を達成するために「違法な暴力(illegal violence)」あるいは「暴力による威嚇(threat of violence)」を用いること。この三つが、学術的に見た場合の、テロの定義の最低限の要件と考えられています。
こうした見解に基づいて見ると、テロ組織と暴力団、あるいは一般的な殺人事件との最大の違いは、「政治的動機」の有無にあると考えられます。しばしば「無差別に殺傷する行為はテロだ」と思われがちですが、そうした点は必ずしもテロの要件とは考えられていません。
たとえば、2022年の安倍晋三元総理大臣銃撃事件は、犯行の動機に政治的意図が含まれているのであれば、学術的にはテロに該当する可能性があります(※この点は、本稿執筆時点(2025年12月)では必ずしも明らかではありません)。他方で、2019年の京都アニメーション放火殺人事件は、多数の犠牲者を出したものの政治的動機は確認されませんでした。したがって、学術的にはテロには該当しないと理解されます。
このように、テロの議論では「定義のあいまいさ」がしばしば混乱を招きます。たとえば、2022年にイスラム系組織ハマスがイスラエルを攻撃した際、それを「テロ」と呼ぶべきかどうかが一部で論争となりました。
前述の三要件を当てはめれば、ハマスの行為はテロに分類され得ると解されます。しかし一部の報道や論者の中には、テロの要件として、前記の三点に加えて「正義に基づかない行為であること」あるいは「非道徳的な行為であること」という第四の点を加える立場があります。こうした立場に立つ場合、「ガザ問題の歴史的な経緯やイスラエルによる抑圧等を考えれば、ハマスの攻撃は一概に非難できない」といった理解に基づき「ハマスの攻撃がテロに該当するとは直ちには言えない」との理解も有り得ることとなります。
ただし、このように「正義に基づかない行為」や「非道徳的な行為」といった価値判断をテロの要件に加える場合、「正義」や「道徳的」の解釈に関する立場や価値観などの違いによって、「テロか否か」の結論は変わり得ることとなります。そのため、テロ対策の観点からの議論は進みにくくなります。こうしたことから、学術的な議論においては、「正義に基づかない行為」や「非道徳的な行為」の点をテロの定義の要件に含めることを控える立場、すなわち、テロの定義から価値判断を切り離す立場も少なくありません。
いずれの立場を採るにせよ、テロに関する議論を行う場合には、議論の混乱を避けるため、テロの定義に関する各参加者の認識を予め明らかにした上で議論を進めることが有用です。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。
