開放的で寛容な社会を形成してきた韓国
中国で清朝ができあがっていく時代は、現代の中国や朝鮮、韓国に繋がる様々なことが確立していく時代です。そのひとつが中国の版図です。
現代の内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区(西蔵自治区)が中国の統治下に入ったのはこの時代なのです。また、鴨緑江と豆満江が中朝国境になったのもこの頃です。
大河川はいかにも国境になりそうなイメージがあり、中朝国境も昔から鴨緑江と豆満江であったように思われがちですが、この流域は、元朝の時代は元の領土でしたし、その時からジュシェン族が多く暮らしていました。これも歴史を丹念に見ればわかります。
こうした歴史があるため、鴨緑江と豆満江が国境になったと言っても、庶民にとっては国境の感覚は希薄で、往来が途切れることはありませんでした。
それは、清朝の満洲族が他民族に寛容であったためでもあります。そのため朝鮮民族も時に国禁を犯して、河を越えて清の人たちと交流を続けていました。実際、朝鮮半島内でも、朝鮮人とジュシェン人は混在していて、婚姻などもみられました。
17世紀頃になると、日本で言えば家系図にあたる族譜と言われるものを作ることが、朝鮮では広まります。それを見ると、祖先は中国出身だったり、ベトナムやウイグル出身だったりする人もいれば、日本から来て国王に金姓をもらった一族がることもわかります。
朝鮮は単一民族国家とされていますが、それは必ずしも事実ではなく、むしろ、多民族国家と言えるほど、様々な出自の人たちが集まっているのです。こうした人々が一緒になって、長い時間をかけて朝鮮社会は形作られてきたのだと思います。
実際、現代の韓国も非常に開放的です。日本に比べて、学生の海外留学ははるかに盛んですし、企業などもどんどん世界に進出します。また、外国人を非常に積極的に受け入れるなど、外部に対してもとても寛容です。2020年7月には韓国経由で北朝鮮にコロナウィルスが持ち込まれたことがわかりました。人の流れをとめるのはそう簡単なことではありません。
そういった朝鮮半島の人々の気質は、為政者たちの争いとか国境などに関わらず、庶民が目の前の現実に対して、より合理的に、より自由に対応してきたことで培われたものだと思います。
一方で、「韓国併合」という歴史が、日本との関わりを、日本以外の国との関わり方とは異なるものにしていると思います。しかし、それは、日本にとっては、日本から見る韓国の一面にすぎません。
そのことは、先入観なく韓国の人たちと交流すればわかることです。そのためには、日韓の歴史だけでなく、中国も含めたアジアの歴史を学ぶことは、ひとつのきっかけになると思います。
最近は、韓流ドラマやK-POPから韓国に興味をもち、もっと韓国のことを知りたいと、私の講義をとる学生が増えてきました。韓国の若い人たちも、日本の文化に対してとても興味をもっています。
こうした世代が、それ以前の先入観や固定観念にとらわれず、新たな歴史を築いていく礎になるのかもしれません。それも、何百年後の人から見れば、大きな歴史の流れとして見えると思います。
※記事の内容は、執筆者個人の考え、意見に基づくものであり、明治大学の公式見解を示すものではありません。