
2023.03.23
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2022年のノーベル平和賞は、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの人権団体や人権活動家に贈られました。平和と人権は結びついて考えられがちなので、この受賞に違和感を覚える人は少ないでしょう。一方で、彼らが活動している国によっては、彼らはその国にとって平和を乱す者と見なされます。それは、なぜなのでしょう。
人権とはなにかと問うと、よく、「人間らしく生きるための権利」と答えられます。では、「人間らしく生きる」とはどういうことなのかと問うと、その答えは難しいのではないでしょうか。
また、「すべての人が生まれながらにしてもっている権利」とも言われますが、実際のところ、人権は法律によって規定され、法律的な手続きによって保証されています。なぜ、生まれながらの権利が法律によって守られなければならないのでしょう。
それは、「人権」とは定義することが難しく、また、弾圧や侵害もされやすい個人の「権利」だからなのだと言えます。
そこで、私は、人権にとって大切なことは何よりもまず「言いたいことが言える」ことと捉えています。
例えば、戦前までの日本は、言いたいことを言うと逮捕されたり、罰せられることもありました。
現代の日本でも、言いたいことをなんでも自由に言えるわけではないと言われそうですが、少なくとも、他者の人権を侵すようなことがなければ、なにかを言っただけで逮捕されるようなことは、ほとんどないでしょう。
だから、現代の私たちには、戦前までの日本は人権が尊重されていなかった国と思うわけです。
しかし、世界を見渡すと、現代でも、人が言いたいことを言っただけで逮捕されるような国は多く、むしろ、ここ十数年間にわたって、増えていく傾向にあります。
では、なぜ、その国は、人々の言いたいことを抑えようとするのでしょうか。例えば、いわゆる発展途上国と言われる国では、まず、貧困の状況にある国民が食べることができることが優先であると言います。
つまり、みんなが食べることができるようにするためには、みんなが一致団結して働き、国を発展させなければならず、個人が言いたいことを言うことなどは、むしろ秩序を乱して発展を阻害する「ぜいたく」なことだというわけです。
また、多民族国家などでは、国民がまとまることが重要で、やはり、個人が言いたいことを言うのは、そのまとまりを乱すことになると捉えているのです。
もちろん、食べることができることは、人が「人間らしく生きる」ために重要なことです。その意味では大切な人権のひとつです。では、そのために、言いたいことを抑えるべきなのでしょうか。いや、むしろ、その国や社会の抱えた問題点を言えるようにすべきなのです。
世界には、経済発展を遂げた国もあります。そうした国々に、私たちは食べられません、支援してください、と言うことが、食べるという人権にも繋がるはずです。
あるいは、国民が貧困なのに、その国の特定の階級が食料や財産を独占している状況があれば、なおさら、それはおかしいと声に出して言うことは人々にとっての権利であり、それが、まさに、基本的な人権と言えるわけです。